> 「ソフト技術」とは、(1)生態学的に健全であり、(2)エネルギー投入が小さく、(3)汚染が小さいかまたはまったくなく、(4)再生可能な物質とエネルギーのみを用い、(5)どんな時代にも機能し、(6)手作業的で、(7)専門性が低く、(8)自然と統合され、(9)民主政治に適合し、(10)技術の限界が自然によって定められ、(11)地域の物々交換に適し、(12)地域文化と両立でき、(13)悪用されにくく、(14)人間以外の種の幸福を前提とし、(15)需要によって技術革新が導かれ、(16)定常経済に適合し、(17)労働集約的で、(18)分権的で、(19)一般に小さいほど効率がよくなり、(20)すべての者が運転の仕方を理解できるものであり、・・・とされている。一転してバラ色のイメージである。
> このハード技術と #ソフト技術 の対比は、近年の #原子力 エネルギーと #自然エネルギー の対比を思わせる。だがウィナーは、この二分法は破綻していると喝破する。
#鯨と原子炉 #ラングドン・ウィナー #適正技術
> 「ハード技術」とは、(1)生態学的に不健全で、(2)エネルギー投入が大きく、(3)汚染率が高く、(4)物質とエネルギーが再生不能であり、(5)限られた時代だけにしか機能せず、(6)大量生産的で、(7)専門性が高く、(8)自然から疎外され、(9)談合政治に適合し、(10)技術の限界が富によって定められ、(11)世界的貿易に適し、(12)地域文化に対して破壊的で、(13)悪用されやすく、(14)人間以外の種に対して高度に破壊的で、(15)利潤と戦争によって技術革新が導かれ、(16)成長指向的経済に適合し、(17)資本集約的で、(18)集権的で、(19)一般に大きいほど効率がよくなり、(20)運転の仕方があまりに複雑であるためそれを理解できる者は少なく、・・・といった具合に、マイナスイメージの文言が続く。
https://synodos.jp/opinion/society/15162/
#ラングドン・ウィナー #ハード技術 #鯨と原子炉
自然エネルギー開発に冷水を浴びせる――ウィナー『鯨と原子炉』の示唆と予言/吉永明弘 - SYNODOS

メガソーラーのある風景 最近、地方に行くと太陽光パネルの姿をよく見かける。しかも、屋根の上に設置されているだけでなく、田んぼや林の中にも多数のパネルが敷きつめられている。いわゆるメガソーラーである。この景色を見る...

SYNODOS
> #鯨と原子炉 #技術の限界 を求めて #ラングドンウィナー
> 技術的制限を設ける項目
1 健康や安全に脅威を与える
2 資源を枯渇させる恐れがある
3 自然環境の質の低下を招く
4 野生生物とその生息地域を脅かす
5 社会的なストレスや緊張を強いる
...
> 1)自然的、2)社会的、3)文化的脅威を与える技術に対して、私たちは、それらを「制限」するという「政治」を真剣に考えねばならない
https://ameblo.jp/ohjing/entry-11741190496.html
#技術への限界づけ
#Limit #Nemesis #制限 #限界
『鯨と原子炉 技術の限界を求めて(L・ウィナー)』

読んだ本鯨と原子炉技術の限界を求めてラングドン・ウィナー吉岡斉・若松征男訳紀伊国屋書店20002月原著The Whale And the ReactorA S…

そのたびごとにただ一つ、世界のはじまり~瀧本往人のブログ
> #ラングドンウィナー は..#鯨と原子炉 .. で.. 「何世代も持ちこたえる公的秩序の枠組みを確立する立法行為または政治的な土台作りと、技術革新は似ている。」..
> ..技術の支配」にどのように向かい合えばいいのか?その答えの一つは、どのように生きたいか、どのような社会にしたいのかと.. 自身の価値観を明確に持つことである。そして技術を良く知り、社会システムの中にどのような方向へのプレッシャーが働いているのかを理解することである。例えば最近 #メディアリテラシー の必要性が叫ばれることが多いが、本当に必要な能力は#メディア技術 のもつ指向性を理解することである.. キーボードのたたき方やサーチエンジンの使い方に秀でることではない。
 環境配慮型の社会を創造しようとした場合、民主的で分権的な社会、かつ人間性を大切にする社会を求める価値観は伴ってついてくるものである。そしてビジョンをもって現実を見つめたとき、様々な技術の持つプレッシャーを理解することができる。そうして初めて、どのようにして行動したらよいかを考えることができるのだ。
https://www.mskj.or.jp/thesis/10024.html
技術革新と立法行為は同じ!?―技術の力と人間の力、そして社会の関係 | 松下政経塾

今回は、「技術の政治学」の理論から環境配慮型社会を目指すことの意味を論じてみる。民主的で分権的な社会、かつ人間

松下政経塾 | 松下政経塾

> 現在の日本に当てはめて考えてみれば、#原子力開発 の影の部分を引き受け恐怖にさらされるのは過疎地域の人々であり、「ケータイ」の#電磁波 に不安を覚えるのは心臓に疾患をもつ人々であるといったことが挙げられる。たしかに、#原子力技術 それ自体に地域間格差という問題が、#携帯電話 の通信技術それ自体に#健康被害 という問題が内包されているわけではない(絶対に避けられないわけではないからである)。しかし、それにもかかわらず、いずれもそれが弱者に集中的に弊害をもたらすような結果になってしまう。また、

発ガン性物質、内分泌撹乱物質、地球規模環境汚染等の問題は、あまりにも薄く広がりすぎていて、因果関係と責任の所在を見失うほどである。そこでは、「技術中立説」のもと、技術そのものが免責される。

このように圧倒的な利便性の中で取り残された部分に生じる諸問題こそが現代の技術論の課題であるとするならば、「本質的に政治的な技術」こそがまさに現代的な課題となるであろう。
#原発 #ラングドンウィナー #鯨と原子炉

> リスク評価のレトリックについての批判も存在している。「あるリスクをすでに私たちは引き受けているのに、なぜそれより低いリスクを避けようとするのか」といった類の議論は、原子力発電の場合にも、食品の安全性議論の場合にも用いられる。そこでは、本当に問題はそれだけなのかという疑問は封じられ、リスクという観点から考えるように人々は誘導されているのである。
> さらに、リスクをとって新しさに挑戦することに高い価値を置く考え方が、リスク評価に影響していることが指摘される。ウィナーによればこれはきわめてアメリカ的な考え方であるのだが、同時に技術者という職業の人々のあいだで一般的に「善い」とされてきた態度でもあることにも注目すべきであろう。
http://www.ns.kogakuin.ac.jp/~ft12153/doc/whale.htm
#汚染水 #原発 #ラングドンウィナー #鯨と原子炉 #リスク社会
書評:鯨と原子炉