突き詰めて考えろ
人間は無価値俺は無価値と
もうちょっと緊張感を大切にする緊張感を取り戻していく
ここ一週間くらいちょっとマストドンに籠り過ぎたかもな
緊張感取り入れるために自分と全く違う人の意見や嫌いなコミュニティ、見てこなかったコンテンツとかそういうところに足を踏み入れていく
最近5chすら見てなかったから新しい情報が入ってこなくなって何度も同じような内容のトゥートしてたもんな
新鮮さ取り戻すために色々調べてみよう
情報取り入れる期間が必要だわ
色々見て回る
突き詰めて考えろ
人間は無価値俺は無価値と
もうちょっと緊張感を大切にする緊張感を取り戻していく
ここ一週間くらいちょっとマストドンに籠り過ぎたかもな
緊張感取り入れるために自分と全く違う人の意見や嫌いなコミュニティ、見てこなかったコンテンツとかそういうところに足を踏み入れていく
最近5chすら見てなかったから新しい情報が入ってこなくなって何度も同じような内容のトゥートしてたもんな
新鮮さ取り戻すために色々調べてみよう
情報取り入れる期間が必要だわ
色々見て回る
情報量を増やすのではなく情報密度を増やすことを考える
極端な話をすると、10年後の人々、100年後の人々に書いてるくらいの気持ちでなんか書いていきたい
実際俺が聞いてた放送室とか20年前に始まったラジオだけで今聞いても全然面白いしむしろ新たな発見がまだまだ出てくるしな
逆に和佐木坂ラジオとかいう聴いてる人がほとんどいないようなYoutubeでたまたま見っけたラジオは放送から七年目辺りになる去年くらいまでは割と楽しんで聞いてたけど今年聞いたらちょっと無理だったな
他にも色々楽しんでたコンテンツを洗い出した上で、一個重要だと思ったのは「その時感じた不満」みたいなのをただそのまま吐き出しただけの「その場凌ぎの鬱憤晴らし」は後で見た時、読んだ時にただただ不快なものになる、ということ
「コンプレックスは一過性のもの」ということをしっかりと踏まえる
もちろんコンプレックスの反対側にある長所?自信?も同じ
そういう「コンプレックスに根差した主張、不満」みたいのは、全く同じようなコンプレックスを抱えた人々からは許されるし共感されるが、時代によってそれが取り除かれた時に無価値になる
昨日くらいまでは #感情論 が自分の中でのトレンドだったけど、これは違うかもしれない
むしろ理性を極めていった先に、そこに不本意に生まれる感情、これは確かに尊いけど人工的に故意に作り出した感情、これは「非感情的な感情」とも言える
誠実に理性的になり、つまりはしっかりと自分にとって不都合だとも言えるようなデータ、情報とも向き合って自分の中の認識の精度を磨き、研ぎ澄ましていく
今気づいたけどこれは時間帯によるもの?なのかもしれない
#脳は閉鎖的だが孤立していない
という物理学的性質に関して言及したことがあるけど、実際に脳が外部から電磁波によるエネルギー干渉を受けることは頭蓋骨が電磁防護特殊素材で出来てでもいない限り比定できない
人間の体は放射線も、電気も通す
だからこそ日中と夜間は、それが心理や精神状態に対して与える影響について、もしかすると単なる視覚的光度や気温、生活音などのみならず、脳神経系に直接電磁波が与える影響の差異などから何かしらの違いがあるのかもしれない
そういう意味で俺は完全に夜型の人間なので意図的にまた昼夜逆転させて夜間に生活するスタイルに戻していく
夜中逆転生活が続いたせいで情報密度が下がり、俺がやろうと思っていたことやCFDやビットコインの取引まで手が付けられなくなって、ひたすらマストドンに感情ぶちまけるだけの日々が続いていたな
ここ一週間くらいの間
特に昨日は酷かった
夏と冬とか昼と夜とかそういった天体の状態とかが強く影響しているのかとか外部の物理環境が影響してるのかとか単にそういことなのかあるいは俺のライフスタイルやネットで何を観るかとかその辺が変わってるだけなのか、そこは分からないけどできるだけこれから一週間くらいは理性的で論理的にあろうと心掛けようと思う
夜は人を冷静にさせる
夜中ではなく夜昼ね、誤字
夜であっても俺にとっては希少時間、みたいな時間帯だったりすることもある
同じ起床時間でも夜中か日中かで全然テンションが変わってくるのよ
これがとても不思議
夜の方が確実に生産性が高まる気がする(お前何も生産してないだろというツッコミは置いといて)
これなんでだろ
精神が研ぎ澄まされる
結局千年後とか一万年後とかに価値を持ってる人間の記した情報って「世界認識」や「意志」、それと「恋文」くらいだよな
天動説地動説的な天文図やあるいは文字通りの世界地図
あとは例えばルイスフロイスやイザベラバード、あるいはマルコポーロとかの旅行記とかも調べてみると面白い
そういう「当時の人々の認識」ってのはある種、海外の反応じゃないけど「当時の反応」だからね
「意志」ってのは余りにも #宗教物理学 的な文脈に乗っけ過ぎてるかもしれないけど、これは要するに、科学的真実が工学技術によって上書き可能な人新世の時代、「重要なのはどうあるかではなくどうありたいかどうあってほしいか、である」ということ
これ自体が、上記の「世界認識」の延長にあって、 #真理は変えられる という時代における一つのポストトゥルース時代を生きる我々の背負うべき時代精神なんだよ
ここで後で書こうと思ってたことをコラム的に書いとく
■古代中世善悪の時代→宗教
■近代真偽の時代→科学
■現代美醜の時代→芸術
「"美化"」「"醜化"」させる力が現代の「武器」、ガーシーは真偽はハッキリしてるが美醜力を持たないのが弱点
#日記
ここで重要なことは「美」それ自体よりも「美化させる力」の方が大事であるということ
そしてコンテンツという意味においては「醜」にも価値が宿りうるということ
この二点かな
「競争するな、競争させよ」
「ステークホルダーが非ステークホルダーに優越する状況を作り出せ(市場の前線の所在について)」
ある対象を「善化」「真化」「美化」させる力は、善真美それ自体よりも価値を持つ
そもそも、この宇宙には遠近あっても上下なしと言うように、自らが指し示すところを「上」だ、と信じさせた者が人々を支配してきた
ポストトゥルースの時代、重要なことは真実をハッキリさせることというよりも、対象を徹底的に美化、醜化させること、それが重要な権力となる
#美化学(醜化学もある)
これは一つの時代性を背負ったキーボードになるだろうね
それこそが芸術美術が本来背負ってきた役割の一つであったと思う
タイタニックは本来笑い話にされるようなイギリス人の失敗話をイギリス人の武器、なんならナショナリズムにまで昇華させた
善化学、真化学、美化学、これらを合わせて昇華としよかな?
あともう一つ
なんも行動しない癖に意識ばっか高めてた時の俺の起業哲学、経営哲学
👇
「主役になるな、主役を与えろ」
これはどういう事かというと、結局マストドンにせよYouTubeにせよtiktokにせよ主役はユーザーなんですよ
マストドンの創業者?社長はマストドンのヘビーユーザーではないだろうし、youtubeの社長だってyoutuberではない
社長は自らが有名人とかスタープレイヤーになる必要はなくて、むしろスタープレイヤーを作らなくてはならない
プラットフォームが仮に「劇場」だったとすれば、ユーザーというのは「観客」ではない
「出演者」なのだ
みんな「面白い劇を見せてください」ではなく「カッコ良い役をください」の精神で劇場に足を運んでいる
みんなが食い入るようにyoutubeを観るのは、「youtubeが面白いから」ではなく「自分もどこかで人気youtuberになれると夢見られるから」なんだよ
俺は正直youtubeなんて動画投稿に課金とかすればいいじゃんとか思ってたんだけど、誰でも動画をアップできて誰でも「新人youtuber」になれるシステムにすることで、ユーザーの「夢の裾野」が広がり、投稿者らに親近感を持てるようになり、それによって視聴者としてのエンゲージメントも高まっていくんだよね
(他にもAI学習的なメリットもあるんだろうけど)
「自分もyoutuberになれるかも」と思わせることで視聴者としてのエンゲージメントを高められる
その点においてyoutubeやtiktokはテレビやネットフリックスより視聴者のエンゲージメントが高まって当然なんだよね
こういう「ボトムアップ型の期待感」がある状態だと視聴者が投稿者を信頼してとても親近感を持っているために、極めて健全で前向き、上昇志向の文化が生まれる
なぜなら投稿者は視聴者"そのもの"だから
しかしテレビのように「(テレビの)中の人になれない」ことがほぼ確定しているコンテンツはそうはいかない
(続く)
(続き)
テレビのように「中の人になれない」ことが確定した状態だと、YoutubeにとってのYoutuberと視聴者の関係性とは違って、もはや視聴者にとって出演者は「他人」であるため、視聴者は出演者の活躍や幸せをもはや望まなくなる
「自分はこうはなれないんだ」と思わせた時点で視聴者は、そのコンテンツを寛容には受け入れられなくなる
だから、テレビのコンテンツはどこか寒々しい
視聴者は絶対に自分がなることはできない出演者達の不幸だけを選択して視聴し続けるために、いわゆる「ざまあ」系のコンテンツばかりが量産されるという仕組み
ネットフリックスやアマプラ、あとはアベマTVが広告宣伝費の割にはイマイチ熱狂的な「信者」を生めないのもそういうこと
コストはかかるかもしれないけど、「自分もこうなれる」と思わせておかないと、熱狂的な信者は生み出せない
結局需要されているのは「面白い劇」ではなく「カッコ良い役」だから
(今日書いたことのおさらい)
・「カッコイイ役を演じる」ことではなく「カッコイイ役を与える力」が人を支配する
・昔は経営者は自分自身がスターになることが大事だった。GEのエジソンやケンタッキーのカーネルサンダース、ディーズニーのウォルトディズニーやアップルのスティーブジョブズなどなど。自分自身がカリスマになることで顧客を引っ張るカリスマ型リーダーが必要とされていたが、今の世の中で例えばYouTubeの創業者に惹かれてYouTubeを始める人やTiktokの創業者に憧れてTiktokに動画上げる人なんていない。そもそもそのプラットフォームのスタープレイヤーになったところでその会社の社長にはなれない。そこの会社の社長に憧れさせてしまったら、彼は次の「競合相手」になってしまうだけ。だから自分自身が与えることができる「配役」に憧れさせることがとても大事。
・競争するな、競争させよ。
・自身とステークホルダー(顧客や株主など)の優劣や勝敗ではなく、ステークホルダーと非ステークホルダーの関係性を考える
・つまり自身の顧客が他社の顧客より優位である状態にする