良い会社とは、宗教である。世界一成功したビジネスは「テスラ」でも「マイクロソフト」でもない
https://www.businessinsider.jp/post-291378
(今日書いたことのおさらい)
・「カッコイイ役を演じる」ことではなく「カッコイイ役を与える力」が人を支配する
・昔は経営者は自分自身がスターになることが大事だった。GEのエジソンやケンタッキーのカーネルサンダース、ディーズニーのウォルトディズニーやアップルのスティーブジョブズなどなど。自分自身がカリスマになることで顧客を引っ張るカリスマ型リーダーが必要とされていたが、今の世の中で例えばYouTubeの創業者に惹かれてYouTubeを始める人やTiktokの創業者に憧れてTiktokに動画上げる人なんていない。そもそもそのプラットフォームのスタープレイヤーになったところでその会社の社長にはなれない。そこの会社の社長に憧れさせてしまったら、彼は次の「競合相手」になってしまうだけ。だから自分自身が与えることができる「配役」に憧れさせることがとても大事。
・競争するな、競争させよ。
・自身とステークホルダー(顧客や株主など)の優劣や勝敗ではなく、ステークホルダーと非ステークホルダーの関係性を考える
・つまり自身の顧客が他社の顧客より優位である状態にする
について、やっぱりこれまで書いてきた「 #文化戦争 」みたいのも文化ってイマイチピンとこないから「 #美化戦争 」にでも変えようかな
こっちのがインパクトあるよな
#柔らかい戦争 とか言ってた系統の奴
善悪の時代:軍事力;地図;領土の奪い合い;熱い戦争
真偽の時代:経済力;統計;お金の奪い合い;冷たい戦争
美醜の時代;美化力;タイムライン;個性の奪い合い;柔らかい戦争
//"softpower"から来ている
「美化する力」は経済時代の「お金を稼ぐ力」とか「就職させたり給料を渡す人事権、予算権」とかに近い
富の福音の終わり、資本主義的私的所有の終わりを告げる鐘が止む
静寂───
そして、魂と魂がぶつかり合う音が響く
認知戦、自らを認知させるための叫び、悲鳴、、、それはもはや戦い
全てを昇華させるための戦争が始まる
それは、
「Youtuberとして成功すること以上に東大に行くことや大企業に行くことは難しい」
と思っていたからだ
(実際東大に行ける奴は同世代人口の0.5%、その中で大企業に行ける奴なんて何割だと思ってんだ)
結局、人が動かないのは、「魅力を感じていない」からではなく「無理だ」と思っているからだ(繰り返しになるが)
お前がプロ野球選手にならなかったのは「プロ野球の世界に魅力を感じていなかったから」なのか?
「無理だったから」だろ
努力しないのは無理だから
逆に経営者はこの心理を逆手に取らなくてはいけない
とにかく「デキる!!!」と思わせる、それが大事
自分にもできる、こうなれる!と思わせないと、どんどん視聴者は対象から離れていって、「ざまあ」系のコンテンツを生産するしかないような堕落と腐敗を生むのよ
#日記
ここら辺から、改めてVtuberやあるいはつば九郎、ドアラ、あとはシャープさんやらタニタさんやらの「中の人」文化について #個人化する組織 という文脈で #予言 しようと思ってたけど今日は休憩する
だからこそポストトゥルース時代において最も重要なのは #美化力 であり #醜化力 なのよ //名前変えようかな?
これが人類を支配する権力になりつつある
自らの指し示すところを「上」と定義せよ、信じ込ませよ
一時期やたらと(今もか?)、「おっさんもVtuberとして美少女になれる!」系のコンテンツ?広告?が量産されてたのもこういう文脈上の理由からなんじゃないかな
結局、「自分もなれる!」と思わせないことには人は動かせない
みんな「それに魅力を感じていない」から動かないのではなく、「自分は無理だ」と思っているから動かないだけなんだから
一時期、出来の悪い"教育ママ"(本当の意味では教育的ではない知能が低い偽物の鍵括弧付きの教育ママのことね)がさ、「東大の魅力!」みたいのをよく語ってたよね
「東大はこんなに素晴らしいんだ!大企業はこんなに素晴らしいんだ!Youtuberになれる奴なんて一握り!大企業行け!」みたいな
けどそんなんで動く奴はいなかった
(続き)
テレビのように「中の人になれない」ことが確定した状態だと、YoutubeにとってのYoutuberと視聴者の関係性とは違って、もはや視聴者にとって出演者は「他人」であるため、視聴者は出演者の活躍や幸せをもはや望まなくなる
「自分はこうはなれないんだ」と思わせた時点で視聴者は、そのコンテンツを寛容には受け入れられなくなる
だから、テレビのコンテンツはどこか寒々しい
視聴者は絶対に自分がなることはできない出演者達の不幸だけを選択して視聴し続けるために、いわゆる「ざまあ」系のコンテンツばかりが量産されるという仕組み
ネットフリックスやアマプラ、あとはアベマTVが広告宣伝費の割にはイマイチ熱狂的な「信者」を生めないのもそういうこと
コストはかかるかもしれないけど、「自分もこうなれる」と思わせておかないと、熱狂的な信者は生み出せない
結局需要されているのは「面白い劇」ではなく「カッコ良い役」だから
俺は正直youtubeなんて動画投稿に課金とかすればいいじゃんとか思ってたんだけど、誰でも動画をアップできて誰でも「新人youtuber」になれるシステムにすることで、ユーザーの「夢の裾野」が広がり、投稿者らに親近感を持てるようになり、それによって視聴者としてのエンゲージメントも高まっていくんだよね
(他にもAI学習的なメリットもあるんだろうけど)
「自分もyoutuberになれるかも」と思わせることで視聴者としてのエンゲージメントを高められる
その点においてyoutubeやtiktokはテレビやネットフリックスより視聴者のエンゲージメントが高まって当然なんだよね
こういう「ボトムアップ型の期待感」がある状態だと視聴者が投稿者を信頼してとても親近感を持っているために、極めて健全で前向き、上昇志向の文化が生まれる
なぜなら投稿者は視聴者"そのもの"だから
しかしテレビのように「(テレビの)中の人になれない」ことがほぼ確定しているコンテンツはそうはいかない
(続く)