今日は #憲法記念日 で、いろいろ憲法について考えるのと合わせて #SNS についても考え事をしている。
ソーシャルメディアが世論や政治に影響を与えるものになった以上、個人がそれとどう付き合うかということを考えるのも、じつは投票と同じくらい大事なことのような気がしてる。
COTEN RADIO の民主主義の歴史を振り返る回では
「民主主義は "多数決" や "利害調整" ではない、ということは歴史を振り返れば明確に言える(それは何千年も前の人たちがとっくにトライアルしている)」
という話があって印象に残っているんだけど、
現代の選挙でも、自分の所属する地域や業界に利益をもたらす人を当選させ、そういう「利害を代表する人」が国会で "利害調整" をしているように見えることはあるし、
SNS を見渡しても、明らかに #X とか恣意的なルールや運用がなされているのに、目先の利益やそこで出会った交友関係(ソーシャルグラフ)を握られていることで、不満はあっても離れることができない、みたいな状態になっている人や企業も個人的観測範囲の中でだけど相当数いるのをみている。
近い目の前の利益だけを求めてひとりひとりが駆動すると、その時代のシチュエーションによって生まれる「流れ」みたいなものに身を任せる度合いは強まるし、その流れを人為的に作る力を持った時の権力者とかプラットフォーマーと言われる億万長者の言動や影響を受動的に受け入れざるおえない、ってなっていくことにもより必然性が生まれる。
かといって、直近の自分の得や利益をただかなぐり捨てるというのも現実性には難しいことも多々あるし、流れに逆らうということにはエネルギーを必要とするので「それは、それぞれの状況や余裕が許す、それぞれのできる範囲で」ということに自分のなかでは落ち着いていくんだけど、
いずれにしても「それぞれの目の前にある利益をただ取りに行く」ということとは、また別の【力学】を働かせる必要はあるなあという気持ちはあり、
前述の COTEN RADIO の回の終盤で
「民主主義とはシステムではない。それは容易に壊れる脆弱さがあり、しかし歴史上それより良いものが見つかっていない以上 "みんなで頑張って守り、何とか駆動させるべきもの" 」
(記憶の範囲での要約)
みたいな話があって、それを思い出すと、
そういう損得みたいな経済原理とは違う力学を自分のなかにもつのは「考える最初のステップ」として大事かなあと思うし、
それを宗教みたいに既に固定された概念ではなく、自分の中で反芻しながら育てていける【やわらかさのあるなにか】として持っておくということも大事なことだと思う。
それを #SNS の話題に戻って持ち込むなら自分にとっては #Fediverse
で #Mastodon
なここ #VivaldiSocial
に来たことは、
それまでに自分がいた場所の力学から離れて「どういう価値観を内に持つか」を考えるきっかけだったなあと、約3年半前経ったいま振り返って思っています 
」と思ってる人にはそう思わせておけばいいと思う

