
#障害者と高齢者を殺すな
#年齢差別に反対します
このポストフォーディズムって言葉、もっと広がってほしいとです
#障害者差別に反対します
#障害者と高齢者を殺すな
https://nattois.life/@nARu_NulL_76nu/110132319119114749
この ぽすとふぉーでぃずむって ことば もっと ひろがってほしいとです
マクロビー的な議論でポストフォーディズムにおける"やりがい"はマルクス的"包摂"であって、クリエイティブであることが達成された後に包摂つまり次第にネオリベになっていく、という話なのではなくて、「クリエイティブであれ」という命令が既にあり、それは要するにフォーディズムにおける「消費者であれ」ということと同義なはずで、既に常に包摂されている。要するに「クリエイティブである」ことを他の不均衡を対価に買わされているのであり、同時に消費者であることは即ち労働者であるというフォーディズム的な前提は継続しておりフォーディズム的な労働者とは資本論の時代の労働者とは少々意義が異なっており労働者は生産力という意味で商品であり且つ消費者であり、尚且つ競争の中に放り込まれているのである。この競争は資本間に限らず労働者間でも自明の前提と既になっているが「クリエイティブであれ」の命令の次元で資本-労働者の間の競争も前提となる。
ただし、高野岩三郎を中心とした憲法研究会(鈴木安蔵、森戸辰男、馬場恒吾ら)の憲法草案は「日本共和国」案でした。 日本政府側の憲法改正草案はほぼ明治憲法のままでしたので、GHQは民間の高野草案を示し、「人民(peuple)主権」を明記しない場合、民間での議論に委ねる可能性を示唆しました。 ここで日本政府側も妥協し、「国民主権」と翻訳した上で「国民」の定義は後に定める、という所謂「国籍条項」を入れさせた。 この際、日本の司法官僚の念頭にあったのは、旧植民地出身の在日コリアン、中国人の人々でした。彼らは「来るべき」独立の際、これらの人々を「国民」から排除することを最初から企図し、サン・フランシスコ講和条約とともに当該の人々の市民権は消失します。 ところで、日本国憲法は国会の審議過程で修正された部分もあります。その典型が25条の「生存権」。25条は高野岩三郎の弟子、森戸辰男の強い主張によって修正条項として追加されました。 ここにおいて「福祉」は国家に市民に対する「恩恵」ではなく「権利」であることが明記された。 しかし支配層は未だに「権利」ではなく「恩恵」としてしか考えていない。であるからこそ、「恩恵」としての福祉から政府は撤退する、という構え。 ですから改憲の対象は9条及び25条になるでしょう。
思うところがあるので連帯します
#非正規問題は障害者差別問題
#アフター無期転換問題
#ダメっ無期転換後のクビきり
#ダメっ無期転換後の不利益変更
#障害者と高齢者を殺すな
#障害者差別に反対します
おもうところがあるので かれんたいします