やまゆり園事件から9年経って、差別排外主義を堂々と主張する政党が台頭するようになってしまった。優生思想や差別を許さない社会へ向けて、時には「声高に」叫んでいかなければと思っている。(自身の差別心や優生思想ともつねに向き合いながら)
やまゆり園事件から9年経って、差別排外主義を堂々と主張する政党が台頭するようになってしまった。優生思想や差別を許さない社会へ向けて、時には「声高に」叫んでいかなければと思っている。(自身の差別心や優生思想ともつねに向き合いながら)
やっぱり今日のうちに一度トゥートしておきたい。
でもこれは明日からもずっと変わらない。
今日書いておきたかったことを書きました。
#障害者差別に反対します
「それ差別だよ、よしなよ」と言っているときに私が考えていること - プール雨
反差別主義なのは当たり前のことだと思っていたので、特に明言したことなかったのですが、私は、すべて人は個人として尊重され、法の下に平等で、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において差別されないのが当然だと考えていますし、政治はこの憲法の精神を社会において実現するためにあると信じています。 この態度に関して、「なぜ」と問われるのはとても残念です。ほかに選択肢なんてあるのでしょうか。「なぜ」と問う人は、ご自分が差別される社会に生きていることを受け入れておられるのでしょうから、私はその方々にまず言いたいです。あなた方にも人権はあります。この社会において幸福を追…
他人の命の価値を社会への貢献度で測る人は、人が社会のために生きていると思っている。勘違いするな。社会が人のために存在しているんだ。
誰かが私を役立たずだと思うのは勝手だが、私には、そして、この世に生きるすべての人には、社会に守られて、安全に生きる権利がある。
お前のちっぽけな物差しで人の命の価値を測るな。
人権は愛でも思いやりでも優しさでもない。私たちが等しく持つ権利だ。人権は守られるのが当たり前なんだ。他人への感謝も罪悪感も必要ない。