【明治維新とは - 福澤諭吉『文明論之概略』より】
《…身に才德なくして家に巨萬の財を貯へ官に在ては高官を占め民間に在ては富有の名望を得たる人物が國のために義を唱て財を失ひ身を殺したる者は古來の例に甚だ稀なれば此度の改革に就ても斯る人物は士族の内にも平民の内にも極めて少き筈なり唯此改革を好む者は藩中にて門閥なき者か又は門閥あるも常に志を得ずして不平を抱く者歟〔か〕又は無位無祿にして民間に雜居する貧書生歟何れも皆事にさへ遇へば所得有て所損なき身分の者より外ならず概して之を云へば改革の亂を好む者は智力ありて錢なき人なり古今の歷史を見てこれを知る可し,されば此度の改革を企たる者は士族の黨五百萬人の内僅に十分の一にも足らず婦人小兒を除き何程の人數もなかる可し》
📖 福沢諭吉の『福翁自傳』,緒方洪庵蘭学塾での修行時代を回顧したくだりより。
《醫師の塾であるから政治談は餘り流行せず,國の開鎖論を云へば固より開國なれども,甚だしく之を爭ふ者もなく,唯當の敵は漢法醫で,醫者が憎ければ儒者までも憎くなつて,何でも蚊でも支那流は一切打拂ひと云ふことは何處となく定まつて居たやうだ。儒者が經史の講釋しても聽聞しやうと云ふ者もなく,漢學書生を見れば唯可笑しく思ふのみ。殊に漢學書生は之を笑ふばかりでなく之を罵詈して少しも赦さず…》
《彼の樣ァ如何だい。着物ばかり奇麗で何をして居るんだ。空々寂々チンプンカンの講釋を聞いて,其中で古く手垢の附てる奴が塾長だ。こんな奴等が二千年來垢染みた傷寒論を土產にして,國に歸て人を殺すとは恐ろしいぢやないか。今に見ろ,彼奴等を根絕やしにして呼吸の根を止めて遣るからなんてワイワイ云たのは每度の事である…》
福沢諭吉は「脱亜論」が取沙汰されて最近は評判が悪いようですが,中国文化に対する軽蔑と敵意は,諭吉に限らず幕末明治期の若い洋学者たちに広く共有されていた気風だったように思われます。
📖 福沢諭吉の『福翁自傳』,時事新報発刊の経緯その他を述べたくだりより。ネットで物を書くときもこうあるべきでしょう。
《…編輯の方に就て申せば,私の持論に,執筆者は勇を鼓して自由自在に書く可し,但し他人の事を論じ他人の身を評するには,自分と其人と兩々相對して直接に語られるやうな事に限りて,其以外に逸す可らず,如何なる劇論,如何なる大言壯語も苦しからねど,新聞紙に之を記すのみにて,扨その相手の人に面會したとき自分の良心に愧ぢて率直に陳べることの叶はぬ事を書いて居ながら,遠方から知らぬ風をして恰も逃げて廻はるやうなものは,之を名づけて蔭辨慶の筆と云ふ,其蔭辨慶こそ無責任の空論と爲り,罵詈讒謗の毒筆と爲る,君子の愧づ可き所なりと常に警めて居ます》