入荷案内です。
シナリオです。

杉山義法さんの
「勝海舟」が
入りました。

テレビドラマのコーナーにあります。

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《…〔勝安芳氏が〕恰も國家の功臣を以て傲然自ら居るが如き必ずしも窮屈なる三河武士の筆法を以て彈劾するを須たず世界立國の常情に訴へて愧るなきを得ず啻に氏の私の爲めに惜しむのみならず士人社會風敎の爲めに深く悲しむ可き所の者なり》

― 出典: 福澤諭吉「瘠我慢の說」(明治25〔1892〕年 - 岩波文庫昭和3〔1928〕年刊『福澤撰集』所収)

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⚓ 勝海舟は船に弱かった? 最近よんだ福沢諭吉の『福翁自傳』には,万延元(1860)年に軍艦奉行の木村摂津守のもと,勝海舟らと軍艦咸臨丸にて渡米した歴史的航海の経験が語られていますが,それによると,

《勝麟太郞と云ふ人は艦長木村の次に居て指揮官であるが,至極船に弱い人で,航海中は病人同樣,自分の部屋の外に出ることは出來なかつた…》

岩波文庫『海舟座談』にある木村芥舟すなわち摂津守の回想をみると,海舟は予てより幕府の処遇を不満とする癇癪持ちであり,航海中のひきこもりは《福澤の傳にある樣に,たゞ舟によつたと云ふのではない》と海舟の名誉を慮るような発言をしていますが,一方,杉享二というひとの回想では,安政6(1859)年正月に長崎から浦賀へ戻ってきた海舟の言として,

《おれが船に弱いのに,土州沖で暴風雨に逢つたから,躰を檣〔ほばしら〕にふんじばつて,やつて來たよ…》

勝海舟は長崎の海軍伝習所に学び,幕府海軍の建設を手がけた人物とされていますが,果たしてこれでお役が務まったのか…現代の伝記研究ではどう評価されているのでしょう? 素朴な疑問です。

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