当事他者探Qその5|非当事者研究

 出来事の不確かさを受け止めて問いを開始する「問事者」には、二つの側面すなわち受動と能動の側面があります。まず一つには、出来事を受け止める、逆に言えば、出来事に問われる受動的側面があり、またもう一つには、出来事を問う能動的側面があります。  「問事者」は、まず出来事を受け止めて、次に問い始めるといった順序を辿るように思えますが、必ずしもそういうわけではなく、むしろ問い始めることで、出来事を受け止め自覚することができるようにも思います。この辺りは、世界に投げ出された存在が自己を開く、「被投的投企」とも関連しそうです。  話を戻すと、この「問事者」の受動と能動との側面はそれぞれ、「当事

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当事他者探Qその4|非当事者研究

 前回の「共同存在」について述べた際、「現存在と他者」を「当事者と当事他者」に置き換えました。それはいわば「現存在」は「当事者」であると言っているようなものです。しかしそれはあながち外れていないのではないかと思います。  「現存在」という言葉を、前回はとりあえず人間の意味で使いましたが、実際にそれが言わんとするのは、存在を問う人です。存在といっても、あまりにも漠然としています。存在を問う人にとってまず存在するのは、問う人自身すなわち「この私」であり、「この私」を問うことを通じて、存在を問うことになります。  「この私」を問うことは、「この私」に纏わる事象を問うことになります。それは

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