#歩行禅 も終わったしゲームやってもう寝よかな
おやすみ
ただ11月2日からEvernote(本当はリッチテキストに移行したい)にまずアイデアを書くようになって思ったのは、
「思いついたことをすぐにマストドンに書く習慣を行い続けると普段の思考がマストドンの形式にフォーマット化されてしまう」
ってことね
・他人に読まれても良い範囲内の思考しかできなくなる
ってことに加えて、
・500文字の文字数制限に最適化された情報量に思考が引き寄せられていく
ってのを感じる
要はあまりにも長大すぎる論理展開を必要とする大きな文脈とかは徐々に考えないようになってしまうし、逆に短すぎる一言のフレーズとかも考えなくなってしまう
500文字区切りで思考が分断されていくことを前提とした思考スタイルが固定化されるというか、500文字程度でひとまず完結する論理やそれを繰り返すことが正解であるかのように無意識に感じるようになってしまい、思考の幅が狭くなってたなって、「一回手札に加える」生活習慣にシフトしてから逆に気付いた
文字数制限のない非公開空間にまず自分の考えをぶちまけることが思考の自由度の制限を取り払うことに繋がると思うのよ
SNSにしては500文字って多い方ではあるんだけど、本当に文字数制限がないのEvernoteやリッチテキスト(要はテキストファイル)にまず書く習慣に慣れる(というか戻る?)とやっぱ500文字じゃ言いたいこと言えねえってなるのよね
起承転結的な物語構造やあるいは構造として論理展開を自己管理的でない500文字のトゥートでガンガン寸断させていくと、読みづらいし書きづらいと思うんだよね
やっぱり書いていく中で、どこか500文字の中に小さくても良いから一つの波を収めようとするというか、オチや結論をひとまずつけなくてはみたいに思ってしまう
それこそがまさにSNSの形式による思考のフォーマット化って奴だよな
最終的にアウトプットする上でそこでの形式に基づく最適解に落ち着かせることは良いかもしれないけど、その前段階の構想だとか着想だとか思考レベルでの段階からSNSの形式にフォーマットさせた考え方をするようになったら不味いと思うんだよね
というわけで最近は「思いついたらまずマストドンに書く」習慣をちょっとやめて、「思いついたらとりあえず文字数制限のない非公開空間に書く」ことを心掛けております
それによって思考のフォーマット化からマジで脳が解放されている感覚がある
更に言うと単に考えるだけじゃなくてそれを書き起こすことにかなり大きな意味があるとも直観的に思っている
起きたらできるだけ早くEvernoteに向き合ってとりあえずそこで何か感じていること、思いついたことをひたすら書き殴る日々がここ一週間くらい続いている(そしてちょっとずつリッチテキストに移行させていくつもり なんだかんだ言ってWindowsのフォルダ構造みたいのが便利だなって最近思い始めてきたのもあるし)
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とりあえず今日はここで書き込みを切り上げとこかな
ほんまに眠くてしゃあないし #き