20241230七里御浜
20241230七里御浜今日は、三重県熊野市の七里御浜に来ました。七里美浜は熊野市と美浜町を南北22kmに連なる海岸線です。七里御浜には東西に何本か川が流れていますが、川の礫が海岸に流れ着いて、黒潮の波で磨かれ光沢のある丸い石をしています。何一つ角張った石は一つもありません。海岸を覆う小石はすべてが宝石のように光沢を持ち、伊勢言葉ではつるつるすべすべです。 今日の空撮は、まず花窟神社の東側を離陸します。その後、伊勢路ルートを北上します。沿岸には熊野市の中心地が見えてきます。やがてカフェが見えてきて、その右には大きな岩があります。これが獅子岩です。実際にカフェからはライオンが熊野灘に吠えているような形に見えます。 さらにドローンは北上を続けると、木本高校が見えてきます。太平洋戦争末期1944年12月に東南海地震が起きました。そのとき巨大津波が発生し、高校まで押し寄せたと記録にあります。小さな漁港が見えてくると巨岩が連なっています。これが鬼ヶ城。鬼が住んでいたという伝説があります。実際に現地を訪れると、まさしく鬼の拠点のような奇岩が続いています。 実はこのような奇岩は1500万年前、熊野カルデラの巨大噴火でできた地形。溶岩が固まり隆起して、波に削られてできた地形です。地球最大規模の巨大噴火は、人間が様々な想像をかき立て新たな信仰も生みました。 ドローンはいったん南下し、世界遺産の熊野古道をひたすら熊野三山を目指します。熊野三山とは、速玉大社・那智大社・本宮大社のことで、それぞれ、未来を救う弥勒菩薩、今を救済する観音菩薩、過去をも救う釈迦如来に比定され、熊野三山を参拝すれば、過去から現在、未来まで仏の救いにあずかれると信じられています。これが蟻の熊野詣での由来です。 さて、奇岩から綱が引かれている場所があります。これが花窟神社で人類最古の墓です。伊邪那美命が火の神をお産みになったため女神は黄泉の国に行きました。夫の伊弉諾は黄泉の国に赴き妻を返そうとしました。女神はウジ虫に体をむしばまれ、伊弉諾を追いかけてきます。夫はここに妻のために墓を建てました。花窟神社は名前のように夏はご神体の岸壁に純白のハマユウが咲きます。境内には大輪の百合が、そして、大きなクロアゲハが百合の周りに飛んでいます。まさしく花で覆われた境内で、華道を極めようとする方達がお参りに見えます。まだ、芸能関係の方もいらっしゃいます。ご神体からの綱は女神と人間をつなぐ絆です。毎年二回お綱かけ神事として新しい綱が架けられます。 熊野に参るとて 紀路伊勢路 どれ遠し どれ近し 広大慈悲の道ならば どちらの道も 遠からじ 当時の流行歌を集めた梁塵秘抄はこのように詠います。実際は京都からは和歌山ルートの方が近いのですが、伊勢神宮がある伊勢ルートも神仏の大きな慈しみを垂れたもう道なので、どちらも道も遠くはない。それは、現代を生きる私たちも同じ思いでしょう。 ドローンは鬼ヶ城から熊野市と美浜町までを今日は飛びましたが、飛んでみればわずか10分ほどのフライトでした。伊勢路からここまで来れば、もう速玉大社まではもう少し。ゴールは間近です。 さすがに花窟神社まで来ると、もうここは現世とあの世の境目を感じます。紀伊山地の霊場と参詣径、世界遺産に指定されてから早くも20年になりますが、近年は外国人の多いこと。英語でlive wellと言う言葉があります。「よく生きる」熊野はこの世の端、つまり隈野なのです。よく死ぬことは、よく生きることにつながるのでしょう。 外国人はそんな新しい道を求めて、ここで何かを触れて、何かを感じ、新しいパワーを得てまた帰って行くのでしょう。 今日の熊野灘は風も凪いでドローンのフライトとしては絶好のコンディションでした。海から見た熊野灘の海岸線はまさしく広大につながり、神と仏の慈しみは黒潮の満ち引きとともに絶え間なく私たちに及んでいました。パソコンで呼んでいるため読み間違いが各所にあります。ご了承ください。