80年前の今日・1945年5月4日早朝、地上戦下の沖縄では首里の北部・浦添や西原村に迫る米軍に対し、日本軍が総攻撃を開始。
しかし各地で戦闘に敗れ日本兵約5千人が戦死、翌5日に攻撃は中止へ。
また軍が沖縄島北部への移動停止を命じため、多くの住民も巻き込まれて死んだのです。
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(続き)→ 書籍『これが沖縄戦だ』によると、この時点で日本軍は累計75%もの戦力を失うも、牛島司令は「残存兵と住民で最後の一人になるまで、島の南端に寸尺の土地のある限り持久戦をやり、本土決戦まで時間を稼ぎたい」と。
住民の犠牲を厭わず作戦遂行のみを重視する軍隊の本質が、ここに露見しています。
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そして大田昌秀氏の体験記『鉄血勤皇隊』には、学徒兵達が無惨に戦死したり、恐怖や焦りから錯乱する様子が。
また日本軍が敗走を重ね、学徒兵を壕から追い出したり、参謀らが農民に偽装して逃走する場面も。
沖縄戦の”地獄”は、この後も日本軍の無謀・保身によりますます激化していきます。