『ディアスポラの力を結集する』の田崎英明さんの発言。
イスラエル国防軍の幹部の愛読書について。ドゥルーズ、ガタリ、ギー・ドゥボール...。驚

Hideaki Tasaki says, in the interview for exclusive staffs in Israeli Army by an architect, Eyal Weizman, we can know their favorite books are Deleuze / Guattari, Paul Virilio, Guy Debord (!)
They also say, when they do millitary operation, they do "smoothing the space (breaking the home, lands of Palestine)", and it is influenced by "Espace Lisse" by Deleuze/Guattari etc...

It is just the war of post modern.

#postmodern

*2010年代の情報

ジジェク『ロベスピエール/毛沢東——革命とテロル』にも書いてあるらしい
https://akademeia.kodansha.co.jp/blogs/archives/gentei-%E5%8D%83%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%BC-%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%9B%BD%E9%98%B2%E8%BB%8D

『千のプラトー』、イスラエル国防軍

ここのところ河出文庫がすごい。河出文庫は、俺のようなフランス現代思想人間のために存在してくれているのだろうか。河出文庫に収録されたドゥルーズの著作には『差異と反復』『意味の論理学』『ニーチェと哲学』『記号と事件』『批評と臨床』がある。更にちょっと前だけど『アンチ・オイディプス』が出た。で、いま『千のプラトー』が刊行中(全三巻本で、中巻が先日発売)。  千のプラトー 上 ---資本主義と分裂症 (河出文庫)/ジル・ドゥルーズ ¥1,260 Amazon.co.jp   千のプラトー 中 ---資本主義と分裂症 (河出文庫)/ジル・ドゥルーズ ¥1,260 Amazon.co.jp 『千のプラトー』は文庫だと読みやすい。訳文にはそんなに手は加わっていないようだけど、前の単行本はとにかく分厚い。あれで人を殴ると大変なことになる、ぐらいの厚さ。文庫になってから、とりあえず、「ミクロ政治学と切片性」を読み直した。線の種類には三つあるとあり、これまで全然理解していなかったことを恥じる。さて、この『千のプラトー』だけど、それが提示した概念として有名なものに平滑空間と条理空間というのがある。条理空間というのは、境界線によって隔てられた領域によって構成されている空間で、典型的なのは、国境で区切られた地球表面の政治的空間。平滑空間というのは、そのような領域が前提されていない空間のことで、たとえば、ドゥルーズ=ガタリは、各国の原子力潜水艦がうごめく海底を例として挙げている。あそこには国境も何もなくて、領域侵犯するのが当たり前。ドゥルーズ=ガタリは、条理空間を将棋平滑空間を囲碁の例でも説明していた。将棋は少しずつ陣地を増やしていかなければいけないけど、囲碁はいきなりどこにでも石が置けるわけで、二つのゲームには空間の把握において大きな違いがある。で、この平滑空間/条理空間には留まらないんだけど、ドゥルーズ=ガタリは好んで軍事的な比喩を使う。だから、『千のプラトー』はアメリカ軍によって実現されているのではないかというような意見があったぐらい。そして、最近知ったんだけど、『千のプラトー』の概念が、実際に軍事的に応用されているらしい。しかもあろうことかイスラエル国防軍。参考文献の一つは(これまた河出文庫)スラヴォイ・ジジェク『ロベスピエール/毛沢東——革命とテロル』 ロベスピエール/毛沢東―革命とテロル (河出文庫)/スラヴォイ ジジェク ¥1,260 Amazon.co.jp ジジェクによれば「イスラエル国防軍の軍事学校は、パレスチナ人民に対するイスラエル国防軍の市街戦を概念化するために、ドゥルーズとガタリ、とくに『千のプラトー』を系統的に参照し、それを「作戦理論」として用いている」(p.58)。そして更には…「いまやイスラエル国防軍は、境界がないかに見える空間における作戦に言及する必要がある場合、しばしば「空間を平滑化する」という表現を用いるようにさえなっている」(同前)。すこしネットで調べてみたら、Why the Israeli Army Loves Deleuzeとか、The Art of War: Deleuze, Guattari, Debord and the Israeli Defense Forceとか、こんな記事があった。なぜ、よりにもよってイスラエル国防軍なんだろうか…。ドゥルーズは「ヤセル・アラファトの偉大」という文を書いているけれど、イスラエル国防軍が、「そんなことは気にしない、使えるものは使う」という態度に出ているんだとしたら、往々にして、左翼っぽいものはとりあえず肯っておくしたがってそうじゃないっぽいのはとりあえず斥けるって態度のドゥルージアンたちは完全に負けてるな。緊張感が違うんだ。もちろん軍事に関わる人間の緊張感はハンパないものだろうけど、でも、哲学やる緊張感だって同じじゃないの?もちろん緊張感があれば何でもやっていいというわけじゃないけど。俺はなんだか分からないけどドゥルーズ=ガタリがそこで使われているってこの話を知ってくやしかった。とにかく、『千のプラトー』がいま文庫になったということは、いまこれを読み直せということだろうから、あの軍事学校に負けない緊張感を持って、それを圧倒するような読解を展開するべきですので、俺も努力します。 アーカイブ一覧へ戻る

アカデメイア

このページ衝撃だった。

"Why the Israeli Army Loves Deleuze"
https://jdeanicite.typepad.com/i_cite/2006/09/why_the_israeli.html

主に千のプラトーの概念から「平滑空間」「戦争機械」「ノマドテロリスト」「群れ」など
「遊び」「転用」など(ドゥボールの引用)
を利用しパレスチナでの市街戦を行う。
アイデンティティは瞬時に変わり、パレスチナの家の壁は境界ではなくなり、兵士はどこにでもいる。
フーコーやバタイユも引用されていた。

"資本主義都市の構築された階層構造に挑戦し、私的と公的、内部と外部、使用と機能の区別を崩し、私的空間を「境界のない」公共の表面に置き換える"

"建築を攻撃し、戦後秩序の硬直した合理主義を解体し、抑圧された人間の欲望を解放する欲望"(バタイユの利用)

"人文科学の教育は、しばしば帝国主義に対抗する最も強力な武器と考えられているものが、帝国主義の強力な手段として利用されています。"

確かにゲリラの戦い自体がこれまでの戦争とは違い、その分析・対策、あるいは街を滅茶苦茶に出来るマインドセットにこれらの本が実践的に使われていると言うことか。

逆にイスラエル軍には絶対使えなさそうな思想・・・ナンシー、ヴェイユ・・田崎英明・・
レヴィナスに関してはその後、ヴェイユ批判の凄い怖い/厳格な一面を知った・・。

コメント欄のSinthomeという人は、ドゥルーズガタリはどんな風にでも使える中立的なシステムだと言っていた。(その後中立という言葉に対して批判が続いていた・・言説・テクノロジーは"中立"ではなく"多価"的・・。的確。)
バティウ、ジジェク、ランシエールが足りない所を補っていると書いてあるけど、私はこの三人はまだ全然読んだことがない。田崎さんは言及しているな。

スレッドが専門的+盛り上がっていて読みきれない。

アビラのテレサのエクスタシー体験

"すでに到来しているはずの、(死者とともになされる)享受の時間を解き放つこと、いわば身体から肉へと身を開くこと
初期資本主義勃興期の帝国スペインの都市アビラで修道院改革(都市下層民への救貧対策を含む)に取り組んでいたテレサが、自らのエクスタシー体験をいかに帝国の言説に対抗させるか格闘していたこと"

*肉ー生政治、ポストコロニアリズムの文脈ではメルロ=ポンティというよりはブラックフェミニズムによる議論を参照する事が多い

マルクス 肉=イメージ(商品)を裏打ちするもの
「イメージの肉」ー見えるものの過剰としての肉(=見えないもの)
資本主義のもとでは「幸福への約束」として現れ余剰価値へと姿を変えてしまう
しかしポップの領域では幸福への約束は亡霊=再帰的なもの となって回帰し憑依する (?)

田崎英明「フェティシズムの善用あるいは「復活の復活」のために」 『福音と世界2020.1号』
    参考文献 杉浦勉「霊と女たち」

この雑誌(キリスト教系の『福音と世界』)の中の2つの号を適当に買ったんだけど、どちらでも、ラッパーのNasが取り上げられていた。(二人の方に)

なのでこの田崎英明さんの論考の「資本主義では余剰価値になるところが、ポップでは亡霊になる〜」の「ポップ」は、ヒップホップやNasが例に挙げられている。
霊性とストリート性。

「俺はストリートで死んだ奴らと一緒に成功して金を持ったままオサラバする」

田崎さんの文章読んでくると、オサラバ=グノーシス的な時間の輪から抜け出す という意味で受け取ってしまう。
アビラのテレサが、少女時代に殉教地を探して家出した、とかも不良じゃんと思って思わず笑ってしまった。
でも荒野や自然と一人きりで向き合えたんだろうな。

#nas #アビラのテレサ

about the use of the post modern ideas (deleuze/guattari, Situationist etc) in Israelli army’s close-quarter urban combat.
i found the article of similar but opposite use by Palestinian skater.
in Maen Hammad “BLAH BLAH FROM BELOW“, Maen says “skatebording is the direct registance against the occupation of city building fences and concretewalls everywhere.“
anti-urban physicalculture.
“the biggest thing i learned from skating is to imagine.“
#MaenHammad #skateboarding #skater #Palestine #有住航
though i know the present situation is very different.

Simone Weil the idea of “Nakednessity“, this is surely useful. (though it might be misunderstood sexual harrasment, too.)
Israeli army forced to take off the cloth of palestinian people. but how about the nakednessity of Israel souldiers and Prime Minister Netanyahu? there's the layer of naked human.
Weill also says “the craziness of love“ as a soultion(?)

ヴェイユの「裸性」のアイディア、色んな事が思いついてしまう。パレスチナの人たちを、イスラエルの兵士たちは裸にする。(私達はその裸を見てしまう)
じゃあ逆に、イスラエル兵士たちや、ネタニヤフ首相は裸の時、どうか。裸の人類の層が間違いなくある。
「愛の狂気」の可能性の概念も面白い。