最後の砦たらんことを

 あーもうありえない。
 向かいの席で刺々しく呟かれた声に、相槌をうつでもなく弁当の米へ箸を突き刺す。昼休み、教室の中はがやがやと雑多な喧騒にまみれていて、あらゆる言葉がとびかうものの、皆それぞれの会話に夢中で他の席へは不思議と無関心だ。クラス替えが終わり二週間も経てばすっかり人間模様ができあがってしまう。今回こそは新しい交友関係を構築しようと意気込んでいたのに、小学校からつきあいの深いこいつが一緒だった時点で、俺の目論見は早々と水泡に帰した。
「朝練のあと腹減るってぶつぶつ言うから、おにぎり作ってきてあげよっか、って事前に言ってあったんだよ。頼むわって向こうも答えて。なのにいざおにぎり渡そうとしたら、今日はパンの気分、とか言い出してさ」
「ふーん」
「購買のパン、同じような奴らで争奪戦になるらしくて。着替えてる間になくなるかもしれないから、代わりに並んで買ってきて、って無茶苦茶なこと言うわけ。もーほんと腹立って。カレーパンとコロッケパン買うように頼まれたんだけど、あんドーナツとクリームパン買ってやった」
「へえ」
 もう別れれば。
 喉まで出かかった言葉をかろうじて呑みこむ。口を挟める立場にはないし、のちのち面倒事に巻きこまれるのも心底ごめんだ。こいつも大概だが、こいつの彼氏とやらはさらに輪をかけて嫉妬深い。ふたり並んでいる姿をみかけるたび、ただでさえ眼光鋭くガタイの良い男が、周囲を牽制しまくっている様子は正直言ってものすごく目立つ。
「でもさ、怒るかと思ったのに、腹に入れば一緒、とか言ってペロッとふたつとも食べちゃってさ。助かったわー、なんて笑ってるのみると、なんだかなーって思ったりもして」
「あーそう」
 おまえほんとメンクイな。うかんだ言葉を、やはりかきこんだ野菜炒めと共に呑みこむ。こいつは昔から男の趣味が悪い。だからこそ、ずっと間近にいる俺みたいなのに気づかないんだろうけど。
「でもそもそもの話、腹に入れば一緒ってんなら、俺のおにぎりでもよかったんじゃん?って」
「だな」
「せっかくわざわざタラコと鮭の切り身買ってきて、ちゃんと朝から焼いて、好きそうな具で二個もでかいおにぎり作ったのにさあ」
 だからもう別れれば。言いたいのに言えない。だけどどうして言えないんだろう。告げてしまったら最後、長年存在しないことにし続けてきた俺の中のどす黒い感情が詳らかになるようで恐ろしいから?
 並んだついでに自分の分も購入したらしい、棒状のフランクパイの先端にかぷりとかぶりつきながら、ぶすくれた表情でパイの中央を握りつぶしかけている幼なじみは、それでもやっぱりはっとするほど整った顔立ちをしている。
「こぼれんぞ」
「あ」
 力任せに握っていたパイの先から、ケチャップとマスタードがぶにゅりとはみだしてくる。垂れた粘性の液体に白い手の甲が汚れたのを、自然な流れで赤い舌が舐めとる。その一連の動作を、みていられなくてこっそり視線をそらした。
 小学校に入学する直前の春、同じアパートの一階に引っ越してきたこいつと出会った。二階に住んでいた同い年の俺は、土地勘のないだろう転入者が道に迷わずにすむよう、登下校の付き添いを親に厳命された。それからというもの、こいつと俺の切っても切れない無駄に深い親交は続いている。当時から異様に人目を惹く妙な艶みたいな空気をまとっていたこいつは、ナントカホイホイかってくらいにやたらと変質者を釣り上げてしまう厄介な性質があった。子供の頃はずいぶん守ってやった。こいつも俺の後ろに隠れて身の危険を回避することに協力的だった。だけどいつからか、それは当然の時の流れで、俺たちの密接な繋がりはゆるやかにほどけていった。
「あ、それおばさんのきんぴら?」
「そーだけど」
 俺の弁当の隅に盛られたレンコンのきんぴらを、きらりとひかった相手の目がロックオンする。嬉しそうにやわらげた大きなまなこが、今にもこぼれ落ちてしまいそうだと心配になる。
「食う?」
「食う!」
 即答した相手が、いそいそと俺の手から箸を奪い、大事そうにレンコンをつまむ。箸の先が薄いくちびるにつつまれ、す、と抜きとられる瞬間の何とも言えない悩ましさ。
「俺、おばさんのきんぴら昔から好き」
「知ってる」
「おばさんの特製ポテトグラタン、また食べたいなあ」
 食べにくればいいじゃん。告げかけた返事を、これは口にしていい類の内容だろうかと胸中で吟味する。一度音に変えた言葉は元には戻せない。何がきっかけでこの曖昧な立ち位置が失われてしまうのか、俺が恐れるのはただその一点だ。
 物心ついた時には母親とふたり暮らしだった俺と、同じような境遇で父親とふたりだったこいつとの距離感は難しい。出張の多かったこいつの父親の代わりに、俺の母親はよくこいつを我が家で預かっていた。食卓を共に囲むことも、一緒に風呂へ入ることも、同じ部屋で眠ることも、あの頃の俺たちには至極あたりまえだった。
 もしかしたら、俺の母親とこいつの父親は、何かしらの深い関係にあったのかもしれない。幼かった俺たちの前では、彼らは努めて近隣住民の助け合いという体を崩さなかったが。子供という生き物は子供なりにひどく敏感だ。たぶんこいつも感じとっていたと思う。ともすれば俺たちは、同い年の兄弟になっていたのかもしれないという、空恐ろしい現実。
 結局親同士の仲がどのような形に帰結したのかはわからない。未だ続いているのかもしれないし、とうに終わりを迎えたのかもしれない。けれど、本当に兄弟になっていられたらよかったと今になって思う。そうすれば、俺はこいつにとって、他の誰にも真似できない一生の唯一でいられたのに。
「あ、連絡きてる」
 窓際の俺の席の向こう側、春のあわい陽光をうけてひかる携帯端末のディスプレイを相手の指がなぞる。細く開いた窓の隙間から流れる風が、綿毛みたいな色のカーテンをほのかにゆらしている。
「一緒に昼食べよう、だって。もう食べ終わるっての。あいついっつも行動すんのが遅い」
 文句をたれつつも、わずかに残ったフランクパイをビニールで包みなおし、立ち上がろうとする相手の手首を思わず掴んだ。
「なに?」
「いや……」
 自分で自分の行動に驚く。言い訳を探して目をさまよわせ、視界にうつった残り少ない弁当の中身と、ふたくち分程度のパイを交互に見遣る。
「きんぴらのお返しにそれ、置いてって」
「えーこれ?いいけど」
「ついでにおまえ、いっぺんあいつにガツンと言ってやれ」
「んー?」
 その気になったらね、と苦笑して離れていく相手の腕が俺の手から抜け落ちる。
 それでもおまえが最後に縋れる場所が、せめて俺であればいい。


―――――
#創作BL短編小説 #創作BL #BL小説 #創作BL小説
大好きな親友と離れ離れになるのがさみしくてふたりで卒業式をサボる男子高校生の話(0/5) #創作BL #商業BL #漫画が読めるハッシュタグ
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 腹いっぱい夕飯をファミレスで食べ、俺達はすっかり暗くなっている外へと出る。
 昼間に比べると多少なりとも外気温は下がり、肌に当たる風も心地いい。その空気の中に少しだけ潮の香りが混ざっているのも、なんだか地元に帰ってきているんだな、と改めて実感をする。
 あまりいい思い出のない地元だが、楠田と過ごせばこの場所も悪くなかったんじゃないかとそう思えるのが不思議だった。
 今日だけで色褪せていた地元の風景は、色がつき色鮮やかに見えた気がする。それはきっと楠田が一緒だからだろう。
「はー、食ったぁ」
「美味かったな」
「おう。やっぱジャンクな飯は美味いぜ」
 ファミレスを出て駐車場を歩きながらそんな会話をする。
「おいっ! お前ら待ちやがれっ!」
 と、突然背後から声を掛けられ、何事かと振り返れば木野が肩を怒らせながらずんずんと近づいて来ていて、まだ何か用なのかと首を傾げる。
「どうした?」
「……っ、てめぇっ勝負だっ!」
 俺が声を掛けると、木野は近所迷惑なくらいの大声を出し指を突き付けながらそんな事を言ってきて、楠田と顔を見合わせる。
 それもそのはず。何故か木野が指さしていたのは俺ではなく楠田で。
 楠田も俺を見た後、改めて木野を見返し、怪訝な顔をして自分を指差す。
「……俺?」
「そうだっ! お前だっ! なんで弱そうなお前が佐神といんだっ! あ、あんな楽しそうにっ……っ!」
 何故だかとても悔しそうに顔を歪めて言う木野にまた俺は首を傾げる。木野は怒りでか顔を真っ赤に染め、わなわなと震えていた。
「……なんでって、佐神とはダチだから」
「俺だって佐神とは強敵と書いてダチと読むって間柄なんだよっ!」
「……ダチ……?」
 なんだか話が良く分からん方向に行きそうなのと、木野にダチだと思われてたらしいことに驚き思わずそう呟くと、木野は俺を見て目を真ん丸にした。
 え、なんでそんなショックを受けた様な顔をするんだ……。だって、お前、喧嘩は売って来るがダチみたいな事なんもしてないだろう、とそんな事を思うもののそれを口にするとまたショックを受けそうで黙っておく。
「後、お前っ! さっき佐神に触ってただろうがっ! なんかこーほっぺたを……」
 げ、楠田に慰められていた姿をこいつに見られていたのか、と恥ずかしくなる。喧嘩では無敗を誇っていた男が、大学のダチに慰められて泣きそうになってただなんて、あまりにも情けない……。
「あ、あれは……」
「触ってたから、なんだ? 俺達は親友と書いてマブダチと読む間柄なんだ。触るのくらい当たり前だろ」
 思わず言い訳をしようとしたところに、楠田がずいっと一歩前に出て、なんかわからんが張り合う様に真剣な顔でそんな事を言い出す。いやいやいや、楠田どうした。と思うが、なんとなく口を挟みにくい雰囲気を感じ俺はただ口をぱくぱくと開け閉めしただけに終わった。
「俺と佐神が仲良いから嫉妬してるのか? それで勝負を?」
 そういうや否や、楠田の手が伸びてきて俺の肩を抱き、引き寄せられた。ちょっ、待ってくれっ! 今、それは心臓が持たんっ! 心臓死ぬ! と心の中で大慌てをする。
「……っ、てめぇ~! 佐神の同意なく肩抱いてんじゃねぇっ!」
 そして何故か木野の方が怒りだしてこれまた意味が解らん。
「嫌じゃないよな?」
「……嫌じゃない」
 怒る木野に対してけろっとした顔で楠田はそう聞いてきて、それに頷く。確かに嫌じゃない。手にしてもそうだが、楠田に触られるのは本当に嫌じゃないから困る。むしろ心地がいいくらいだし……。
 ただ、問題は自分の意志とは関係なく耳が熱くなったり、心臓がやたらと煩くなるだけで……。
「……っ、くそっ、てめぇ勝負だ!!」
「一体なんの勝負なんだよ……」
 楠田の言葉に木野はまた顔を赤くすると、びしっと楠田を指差して、また勝負を挑む。マジでなんの勝負なんだ。
「ちょっと顔が良いからっていい気になるなよっ! お前なんか、この甲賀流忍者の末裔、木野鈴之助がけちょんけちょんにしてやるからなっ!」
「ちょっと待て、忍者の末裔ってなんだ? 佐神知ってたか?」
「いや、知らない。 木野お前、忍者の末裔なんか?」
 色々とツッコミどころが多い木野の言葉に、楠田が恐らく俺と同じく一番気になる箇所を俺に聞いてきて、俺も顔を左右に振る。同クラだった木野だが、喧嘩する以外はまともに会話をした事がなかったので、木野の個人情報など俺が知る訳ない。
「前にも言っただろうが! 忘れんなよっ!」
 悔しそうな顔をして喚く木野を見て、どうやら俺は一度この自己紹介を受けているらしい。申し訳ないが全く記憶にない……。
「え……マジか。すまん。いつだ?」
「お前と初めてタイマンした時だよっ! 忘れんなっ! 誰よりも個性的な自己紹介しただろうがっ!!」
 そう言われて記憶を手繰る。
 木野との初めてのタイマン勝負……。あれは確か高校一年の時、だったと思う。……が、あの当時、先輩方からの呼び出しも多く、木野の事は本当にあまり覚えていなかった。
 必死に思い出そうとして眉間にシワが寄り、首はどんどんと傾いでいく。
 そんな俺に痺れを切らしたのか、また木野は地団太を踏むように足をばたつかせて口を開いた。
「ほらっ! 頭巾をかぶって、お前に勝負を挑んだ!」
「……頭巾……あ、フードの事か?」
「~~っ、そうともいうっ!」
 一年の頃、確かに黒いパーカーのフードを被り、黒のマスクをした男に喧嘩を吹っ掛けられた事に思い当り、ポンッと手を打つ。あれ頭巾のつもりだったのか……。
「そう言えば、確かにあの時も忍者がどうとか……」
「覚えてろよ! 劇的な再会だっただろうが!」
「再会……?」
 木野が漏らした言葉に隣でピクリと楠田の眉が動き、木野に俺よりも先に聞き返す。
 その疑問に木野は、ふふんっと笑うと、何故かドヤ顔をして今度は俺をビシッとその指で指した。
「おうよ! 俺と涼司はいわゆる幼馴染ってやつだ! 忍者の末裔の俺とヤクザの息子涼司は保育園時代から世界最強の男を目指して鍛錬を積んでいた! だから高校で再会した時は感動したぞ!」
「と言ってるが、覚えてるか? 佐神」
「……んぁ~……?」
 木野の言葉に、顎に手を当てて記憶を探る。確かに、誰かと毎日園庭で忍者ごっこをしたような……。
「俺らは最強の男になると誓い、そして結婚の約束もしただろっ!」
「してない、してない」
 突然変な事を言い出して思わず速攻で否定をする。隣にいる楠田の空気が、変わったような気がした。
「結婚の約束……? このヤンキー忍者とか?」
「してねぇって」
 何故か確かめる気満々でいる楠田に半笑いで否定し、改めて目の前の木野を見る。一緒に忍者ごっこをして遊んだ当時の友達。確か名前を……。
「……すーくん?」
「おせぇよ! りっくん!」
 記憶の中を手繰り、当時呼んでいた名前を口にすると木野は突っ込んだがその顔は嬉しそうだった。
 なんか忘れていてすまん。
「……おい、ヤンキー忍者。その勝負受けてやる」
 突然隣で楠田が木野にそんな事を言い出して、俺は驚き楠田を見た。その顔は真顔で。

 ちょっ、なにがどうしてそうなったー?! どうした楠田?!
不破と宮裡がイチャイチャ(?)してるだけの小ネタらくがき #創作BL
夢を語るには遠すぎる

 一心不乱に蛇口を磨く横顔は真剣そのものだった。錆はおろかカルキ汚れひとつ許すまいと、ちいさな隙間やこまかい溝へまでも目を光らせている。そんな手間をかけてやっていて本当に作業が終わるのか。掃除の時間なんて限られているのだから、毎度の手順に従って淡々とこなせばいいものを。
 呆れた思いを顔へのぼらせたまま、浴場へつづく引き戸をあけた途端、なまぬるい湿気が一瞬にして身を苛む。ワークパンツの裾をまくりあげて浴場内へふみいれると、気づいて顔をあげた相手がへらりと気の抜けた笑みをうかべた。
「坊っちゃん、おかえりなさい」
「それやめてって、何回言ったらわかんの?」
 下町に昔から根差す古びた銭湯が俺の実家だ。正確には、つぶれかけた後継ぎのいないくそボロい銭湯を経営しているのが俺の親父。相続するなんてまっぴらごめんだと俺が突っぱねたせいで、親父の代で終わるはずだったこの公衆浴場を、ある日突然やってきた見も知らぬ他人が継ぎたいと言い出した。そんな異星人みたいな男は、無鉄砲さとは裏腹に、銭湯で働くことについて完全な素人だった。追い返そうとつめたくあしらうばかりの親父へ、けれどなぜだかその男は足繁く親父の元へ通い、弟子入りを熱望したのだという。
 今日から見習いとして雇うことになった。
 事後報告の形で知らされた新たな従業員に、俺は唖然としてなんら気の利いた言葉を繰り出せなかった。温泉マークと「公衆浴場」なんて文字が印刷された変なティーシャツを着た、艶はあるけど黒くてうねった海藻みたいな頭の男は、よろしくお願いします、坊っちゃん、などとサブイボのたつ言いざまで俺を呼び、握手を求めたのだ。
「今日はずいぶん早いですね?早退けでもされました?」
「期末試験だから。明後日までは昼で終わり」
「へえ、中学校ってそんな感じでしたっけ」
「あんたの頃は違ったの?」
「俺はほとんど中学行ってないんで」
 けろっと口にして、男はまた手元の蛇口へ視線を戻す。古布で磨き上げる銀色のステンレスが、曇りを拭われぴかぴかとかがやきを放つのがみえる。
 こんな調子じゃ15時の開業に間に合わない。隣にずらっと並ぶ洗い場の三つ先へ腰を落ち着け、蛇口へ薬剤をぶっかけて慣れた手順で磨いていく。
「ああすみません、助かります」
「俺がやった方が早いし、上手い」
「その通りです。坊っちゃんの域まで達するには、俺はあとどれだけかかることか」
 きゅっきゅっきゅっ、とステンレスを擦る布の音がひびく。今日は「銭湯」とでかでか印字されたロゴがシュールなティーシャツ姿だ。丸首の布地に汗じみができている。こめかみから滴った雫が、男の肩のラインに染み込んでいくのを、横目でじっと観察した。
「坊っちゃんは成績優秀だそうですね」
「どこ情報だよ」
「師匠から。自慢の一人息子だって、酒に酔うといつも話してくれますよ」
 かわいくて仕方ないんですね、あなたのこと。
 にこにこと薄ら寒いくらいに平坦な笑みをはりつけて、男は真摯に手元へ向き合っている。
「進学先なんて、もう決めてあるんですか?」
「親父に探りいれろって命令された?」
「いえいえ、純粋な俺の好奇心で」
 小ぶりなサイズのブラシで蛇口の溝から汚れを掻き出す。あれも最初の頃、俺がレクチャーしたやり方だ。素直に守っているらしい。
「決めてはいるけど、受かる保証はない」
「難しいところなんですね。もしかして、遠方の学校です?」
「……親父には、まだ言わないで」
「師匠、淋しがりますね」
 そうは言うものの、考え直せとか、親不孝だとか、俺を責める言葉を口にしないのが、この人と居て心地よさを感じる理由のひとつだ。
「やりたいこと、あって」
「夢ってことですか?いいですねえ、そういうの」
「そんなたいしたもんじゃなくて、目標、というか、……ほんと、絶対親父には言うなよ」
「言いません。俺、口は硬い方です」
「そーいう奴に限って、酒が入るとペラペラしゃべるんだよな」
 親父みたいに。
 くずるように言い継ぐと、あははは、と彼はかろやかに笑った。
「あんたは?」
「俺?」
「いい大人が、この先のことちゃんと考えてんの」
「俺は常に目の前の現実に真剣ですよ」
「破滅的だな」
「今を生きてるんです、俺」
 後悔するのは嫌だから、やりたいことをやります。
 彼は言って、労働に湿った自身の額を泡の残る手の甲で拭う。
「人間、いつ死ぬかなんてわからないんだし」
 垂れた泡を、目に入る直前に慌ててティーシャツの袖でうけとめる。真っ黒な髪とやわらかそうな乳白の肌、その中でひときわ異彩を放つ、アンバーの瞳。
「まあ、そこそこ貯金もあるし、案外何とかなりますよ」
「あんたが野垂れ死んでも、うちの親父は責任とれねえぞ」
「わかってます。望んでません」
 バシャ、と桶の湯へ両手を浸し、泡を落としてから、彼は隣のまだ手つかずの洗い場へ移動した。
「おーい見習い、ちょっとこっち手伝え!」
 そのタイミングで浴場の外から親父の野太い声がかかる。はじかれるように顔をあげて返事をした男が、すみません、行ってきます、と断って洗い場から離れていった。背中を視線で追いかける。ひょろりと細長い印象の体躯、二十八になると自称していたが、銭湯勤務の他にもこまごまと副業を持っているらしい、得体の知れない大人。
 ずっと昔、父親とこの銭湯に通っていたのだという。あまり折り合いのよくなかったらしい母親と離れ、父親とふたりだけの時間を持てる貴重な場所だったのだと。のちにその父親は母親へ愛想を尽かし、彼を置いて出ていってしまった。そんな思い入れのあるこの場所を、どうしてもなくしたくないのだと、彼は主張した。
 本当かよ、と思う。人生かけて入れ込むには、ちょっと動機が浅いんじゃないか。何か別の事情や、のっぴきならない過去なんかがあって、ヤケをおこしているだけなんじゃないのかよ。
 彼よりも数倍手際よく掃除を進めつつ、だから稼げる大人になりたいと強く己の意志を反芻した。
 何かあっても、養ってやるよ、とまでは言えないとしても。稼いで、この家業を買い取れるくらいになって、例えば俺がオーナーで、あんたが店主で。そんな夢物語に賭けてみたくなるほどに、胸のふかいふかい場所に突き刺さって消えない人。
 待ってて、なんて一方的な睦言を伝えるには、未来はあまりにも遠すぎて、途方に暮れてしまう。


―――――
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 水族館のショップに入った後、俺と繋いでいた楠田の手は自然と離れ、まるでそんな事などなかったかのように俺達は別々に土産を見て回った。
 だけど俺の頭の中はさっき楠田に言われた言葉でいっぱいで、まともに土産を吟味するほどの余裕がなく。
 ――あぁ、狂いそうになる。
 楠田が何を考えているのか分からなくて。
 いつもならはっきりと言う癖に、何故かこの二日間ずっと何かをはぐらかしているように遠回りな言葉ばかりを俺に投げつける。
 だから、何を考えているのかがますます分からなくなっていって抜け出せない迷路に迷い込んだみたいだ。
 いや、なんとなく、そうじゃないかな、というのはある。だけど、どうしてもそれが信じられない。
 だって、アイツはとんでもないイケメンで、可愛い女の子にもモテて。……今日だって地元を歩いていると道行く女の子達は楠田を見て頬を染めていた。都会の子ほど積極性がないからか、それともこんな田舎には不釣り合いなイケメンだからか、流石に大学構内でよくある楠田と仲良くなりたくて声を掛けて来る子達のようには声をかけてはこないが、楠田を見ていた女の子はどの子もその表情から楠田と仲良くなりたそうな気配を漂わせていた。
 だけど、アイツはいつも通りその辺には全く無関心で。
 自分に向けられている視線の意味や、数はしっかり把握しているんだと思うが、それでもアイツが注ぐ視線は俺にだけだ。
 ……だから、ひょっとして、なんて思っちまう。
 手だって、繋いで、デート、だなんて言われて。
 答えはすでに言ってる、俺が気が付くのを待ってるって。
 そんな言葉を甘い声と顔で言われたら、勘違いする。
 だが、そんな事は有り得ない。
 それに俺だからその顔面と言葉の圧に負けてはいても辛うじて勘違いしないように理性を働かせているが、本当に女の子だったら……いや、恐らく男だって、その場で全てを楠田に任せ、生涯を共にしても良いと思う位の破壊力だ。
 でも、そんな事を俺がアイツに思うのは、きっと違う。
 アイツを褒める言葉に裏が出来てしまう。期待をしてしまう。今までみたいな馬鹿みたいなやり取りが、出来なくなる。
 それはアイツが最も嫌がる事だ。されたくないと思っている事だ。
 この地元でも女の子達の視線に晒されて、その視線の中に有る欲望や願望に楠田は気が付かないように振る舞っている。女の子達に囲まれてその眉間にシワが寄っているのを何度も見た事があった。それくらい、アイツからすると|そういう対象《恋愛対象》として見られるのは、嫌な事なんだと俺はこの一年半とちょっとでよく理解した。

 あの、桜吹雪が舞う入学式。
 あの日、アイツを見た時に桜色の花びらに包まれていたアイツは、俺が見た世界の中で一番綺麗だと、かっこいいと思う存在だった。
 そこに裏は無い。
 本当に、裏は無かったはず、なのに。

 そんな純粋にかっこいいと思った言葉に、アイツの嫌がる裏が出来てしまう。
 楠田は俺の真っ直ぐで裏のない賞賛が好きだって、前に言っていた。お前の言葉なら、素直に受け取る事が出来るって。
 だから、俺はそうでなくちゃいけないんだと思っている。楠田が俺の隣にいて、楠田が楠田として安心できる場所でありたい。『友達』として……それさえも烏滸がましい話なんだとは思うが。
 元々単純な俺は、こんな風にぐるぐる、ぐるぐると色んな事を考えるという事が本来少ない。
 だからこんな答えの出ないことを考えていると、狂いそうだった。
 そんな自分が自分でなくなるような感覚を味わいながら、宵闇に暮れる海岸沿いを歩く。
 さわさわと海から吹く風は火照った体に気持ちいい。
 少し前を歩く楠田の長い髪が、海風に流されてさらさらと空に舞っていた。
 俺が何も話さないからか、楠田もあれからほとんど言葉を発していない。その重苦しい、いつもとは違う空気が俺達の間に漂うのが、辛かった。
 何かを話さなければ、と思う。
 だけど、一体何を話せばいいのかわからなくなっていて俺は少し俯いて足元を見ながら歩く。
「……夕飯どうする?」
 不意に楠田が立ち止まって俺を振り返るとそう聞いてきて、俺は顔を上げる。その声はいつもの楠田の声で、少しばかりホッとする。
「……そう、だな。ファミレスがあるから、そこ行くか?」
 この近辺で飯を食う場所、そう頭の中で地図を開いて少しの間の後そう答える。田舎の店は夜閉まるのが早い。居酒屋などは開いているが、生憎と今は酒を飲みたい気分でもなく、地元のおじちゃん達でごった返す場所に行くのもなんとなく嫌で比較的若い人間が多いだろう場所を提案した。
 その提案に楠田はすぐに乗ってきて「いいね」といつもの明るい口調で言うもんだから、俺も釣られていつもの口調で返し、楠田を比較的新しく出来たファミレスへ案内する事にした。
 到着したファミレスはこの時間思った通りに混んでいて、だけど、今の俺にはこれくらいざわざわしている方が良くて、楠田もまるで水族館での態度が嘘のようにいつもの感じでいてくれることに心底ホッとしてしまう。
 こうして『友達』として振る舞っていれば、俺の中に湧き始めた感情を抑えて、楠田が望む関係を続けられる。
 そんな事を思いながら案内された席に着き、楠田と一緒にメニュー表を見ながらあれが食べたい、これが食べたい、と話していれば突然名前を呼ばれ顔を上げる。
 俺の名を口にした男は俺が卒業した高校の学ランを改造した制服を着ていて、その髪は懐かしきリーゼントだ。だが、俺の名前を知っているという事は、知り合いだろうかと思うが一切記憶にない。
 そうこうしている内に、思い出さない俺に痺れを切らしてそいつが自ら名乗り、漸く誰かを思い出した。
 そう言えば同じクラスにやたらと喧嘩をふっかけて来る男がいたな、と思うがあの時とは髪型が変わっていてわからなかった。そして、いまだに学ランを着ているのにも首を傾げる。
「お前のせいだろうがっ!」
 学ランの事を指摘すれば理不尽にも留年したのは俺のせいだと言われ、大学入学を裏口だと言われ、呆れている所に俺の実家を「ヤクザ」と言われ、――思わず頭に血が上る。
 そしてなるべく楠田の前では見せたくなかった声と顔を出してしまった。……俺が荒れていた頃の、声と、顔。怖い顔に更に凄味が増して、それこそ、そっち方面の人間だと思われてもおかしくない、顔。
 元同クラの木野もその声と顔に、昔よく見た顔でビビり俺の前から消えた。
 あぁ……やってしまった。と反省をする。出来ればこんな顔、見せたくなかった。楠田にまで怒っている、と思われた。きっと、怖い思いをさせてしまった。
 そんな反省をしていれば、楠田の手が伸びてきて優しく俺の頬を撫で、思いもしない言葉を俺にかけてくる。
「怒って当たり前の事だ。お前は良い奴だし、お前の家族も優しくていい人達ばかりだ」
 優しい声で、俺の心を軽くする言葉。なんで、どうして……。
 胸がぎゅっと痛くなる。鼻の奥がツンッと痛んだ。
 辛うじて絞り出した声は情けなく震えていて、だけど俺を見る楠田の優しい瞳に、触れる手の感触に、俺はただ甘え、……そして言葉に出来ない感情が心の中で狂ったように暴れていた。
「2人の幸せな政略結婚」コミックス、本日発売です!!!よろしくお願いします~!!​

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#創作BL #関西コミティア73
サークル「輪廻」5/25関西コミティアに参加します。スペースNo.C-32にてお待ちしてます
 
お品書きと配置図つき改めてのお知らせです。

関西初売りの「美人研究者の顔が良すぎる」は強面不愛想理科教諭×ミステリアス大学院生の植物愛あふれるBLです。

こちらで第二章までたっぷり試し読みできます。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/298222742/98941813

もちろん西遊記転生BL#まさ推しも持っていきます。
無配もたくさん用意していますので、どうぞお立ち寄りください