TAKEMULA_Hiloshi

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【本を読む】#論理的思考とはなにか #論理的思考の文化的基盤
著者は論理的思考を四つの分野(論理学・レトリック・科学・哲学)にわけている(特に表序‐1「四分野の思考法の比較」4‐5)。

ページ数をみればわかるように、一般向け新書では四つの分野をいきなり提示している。「論理学、レトリック、科学、哲学[という学問分野]は、それぞれが異なる目的と、その目的を達成するための推論の型を持つ」(3)から始める。
「教育原理の四つのタイプを提示して教育文化のモデルを構築する。教育を成り立たせる二つの指標を二項対立的に組み合わせて、教育原理の四つのタイプを提示する。二つの指標は、教育の『目的』(「技術目的」対「価値目的」)とその目的達成のための手段として用いられる『知識』の形態(「経験的知識」対「体系的知識」)である」(「論理的思考」の文化的基盤、41)云云という説明が省かれると、四分野の思考法もわかりにくい気はする。
ただし読み進むと別の疑問も生ずる。

【本を読む】#論理的思考とはなにか
著者は論理的思考を四つの分野(論理学・レトリック・科学・哲学)にわけている(特に表序‐1「四分野の思考法の比較」4‐5)。
レトリックは「説得の技術」(18)で、「説得するとは、受け手の心からの同意を引き出し、言論によって受け手の考えや行動を変えること」(19)とこの分野に「受け手」(送り手の相手)を持ち出す。
著者は科学的探究に即してアブダクションを取り上げて、「常識的な期待に背くような驚くべき事実の観察から起こる」(29)と始める。「驚くべき」とは常識として無視ないし黙殺していたからこそなのだから、常識を変更して改めて共有するためにレトリックが必要になる(常識に従うだけなら常識外へ出られない)。
つまりレトリックとして把握する分野ではかかわる者相互の理解が共有されていない、と考える必要がある。
つまり四つの分野(他に領域などの言回しを考えることができる)は完全に横並びというより、共有が到底自明でないという意味で、レトリックは他に先立って働かねばならない、と考えることができる。
横並びでない点をつめきれていない印象。
genspark aiで源氏物語の「心苦し」の用例から意味をまとめるようしじしたら、こんなマップを出力した。

#源氏物語 を読む】#常夏
「まだ世馴れぬほどのわづらはしさこそ心ぐるしくはありけれ」(源氏物語4、298)を、「(玉鬘が)まだ男女の仲を知らないうちに(言い寄って、玉鬘に)不快な思いをさせるのは気の毒だったが」(299注12)と解説するものの、「不快な思いをさせるのは[玉鬘にとって]気の毒」と思うか、拒否されて[源氏にとって]残念と判断するか、説明が必要でないか。

「姫君も、はじめこそむくつけくうたてとも思ひ給ひしか、かくてもなだらかに、うしろめたき御心はあらざりけりとやうやう目馴れて、いとしも疎みきこえ給はず、さるべき御いらへも、馴れ馴れしからぬほどに聞こえかはしなどして、見るまゝにいと愛敬づき、かをりまさり給へれば、なほさてもえ過ぐしやるまじくおぼし返す」(298)
玉鬘が軟化したので源氏は「やはり(玉鬘を)そのまま放っておくことはできそうもなくあらためてお思いになる」(299注10)。要するに風向きの変化は放置しないと思い直した。
注意が欠かせないのは、このあたりが時間の推移に合わせて叙述されていることであろう。

#源氏物語 を読む】#常夏
作者がどこまで物語の展開を考えて書き進めていたのか、知るすべはない。しかし現在の源氏物語読者は、展開をまったく知らずに読み進めるのが困難である。
たとえば玉鬘は、自身の望まぬ環境へ放りこまれては脱出するのを繰り返している。幼い時に母夕顔が父頭中将の下を去って以来、そうなのだ(まだ若菜上の途中までしか読んでいないので、その先は余談を許さない)。
という意味で、源氏が玉鬘処遇をめぐって妄想(自分に都合よく算段)するのは玉鬘の来歴にふさわしい。
源氏からすれば、玉鬘は、娘と偽って(以下すべて欺瞞となる)実父や高貴な女を求める男たちを弄ぶための駒であり、帝に后としてさしだす駒であり、みずからの構想に即して使う駒である。
そんな人物が果して「(言い寄って、玉鬘に)不快なき思いをさせるのは気の毒だったが」(源氏物語4、299注12)など思うのか。ああそうですかとやりすごせないが出発点となった。

#源氏物語 を読む】#常夏
(1)玉鬘を六条院に住まわせておけば、ものにできる
(2)源氏の意図への障害は、玉鬘が処女であることだ
(3)結婚すれば、源氏の意図はたやすく達成できる

物語内でも結婚形態は明瞭である。
妻は実家に住まい(父親の庇護下にある)、夫は通う。
妻を夫の邸におく例外として、後宮を有する帝、葵上亡きあと六条院を造営して女たちを住まわせる源氏、「実家」から玉鬘を拉致した鬚黒がある。
玉鬘を「こゝながらかしづき据ゑて」(源氏物語4、298)とは娘の処遇に他ならない。
だからこそ「はかなくうち忍」ぶのは(内大臣が雲居雁へ出向くごとき)娘の訪問でないとほのめかす(帝の妃との密通と違いスキャンダルであろう)。
夫ができて関守よろしく監視するとしても、常住するのでないから源氏が実家に住まう嫁を訪問するのはたやすいから、「しげくとも障らじかし」とは源氏訪問を指す、と考えることができる。
玉鬘の結婚は、源氏を拒む玉鬘の気持をゆるめ、源氏が通うのを秘匿させるタブーのごとき、その双方を解消すると解せるのでないか。

要するに(1)と(3)は玉鬘結婚前と後について述べているのだ。

#源氏物語 現代語訳を読む】#常夏
岩波文庫の注を繋ぎ合わせると
「そういうことならまた、今まで通り(玉鬘を)六条院に住ま[わ]せて(結婚させ)大切に世話をして、適当なときに、さりげなく密会し」(源氏物語4、299注11)とりとめなく話しながらなぐさめてやろうかね。今のように「(玉鬘が)まだ男女の仲を知らないうちに言い寄って、(玉鬘に)不快な思いをさせるのは気の毒だったが」(注12)、「(結婚すれば)自然と夫が厳しく守るとしても、(玉鬘は)男女の機微を察するようになり、(玉鬘が源氏を)いやに思う気持も薄らいで」(注13)「自分の気持も(玉鬘に)熱中すれば、人目は多くても障害になるまいよ」(注14)

改めてわければ、
(1)玉鬘を六条院に住まわせておけば、ものにできる
(2)源氏の意図への障害は、玉鬘が処女であることだ
(3)結婚すれば、源氏の意図はたやすく達成できる
と述べられている。ただ細部まで理解が共有できているかは定かといえない。

#源氏物語 を読む】#常夏
円地文子の現代語訳
「やはりこのままここに住まわせておいて婿を取り、大事にお世話をしながら、それらしい折々にそっと忍び逢い、はかない語らいに心を慰めもしようか。このように男を知らない乙女であるうちは、言い寄るのもいとおしくてとためらわれるが、いったん夫を持って人の情けを知るようになれば、どのように相手がやかましかろうと、こちらも可哀そうなと気兼ねなどせず、思いのたけを語ることも出来ようし、人目はどうあろうとも、思いがとげられぬでもあるまい」(源氏物語、巻五50-51)

角田光代訳
「それならそれでこの邸に住まわせて今まで通りたいじに世話をし、夫を通わせ、機会をうかがってさりげなく忍びこみ、話などすることで気持ちをなぐさめようか。こんなふうに彼女がまだ男女のことを何も知らないうちに契りを結ぶのは面倒だし、気の毒でもあるが、結婚すれば、夫の厳しい目があっても、男女の情も次第にわかってくるだろう。そうすればこちらも不憫に思うこともないし、またこちらいよいよ本気になったら、たとえ人目が多くても何とか逢い続けられるだろう……」(日本文学全集05、109)

【本を読む】#中立とはな何か
「ある本の翻訳をするとき、訳者は一つ一つの文章を日本語に置き換える作業をくり返し、その作業が終わると、全体の文章を整える。訳語の表記を統一し、文の流れを調整する。全体を通して検討すると、個々の文章を訳していたときには気づかなかったブレや不整合なところがみつかる。場合によっては、日本語の文章としてどうも意味が通らない箇所が出てくる。そういうときは原文と突き合わせて、その近辺をもう一度念入りにチェックし、意味が通じるように訳文を修正する…この工程をくり返してもとくに違和感を持たないところでミスをしていると、これをみつけるのはかなり大変である」(中立とは何か、91‐92)

文中の小見出し「尾高邦雄は『職業としての学問』でなぜごやくしたのか」(87)は著者自身によらないと思うものの、そこから数頁にわたって、誤訳というより無理解ないし誤解を検討している。
翻訳工程のまとめでは一度しか出てこない違和感に発しているように感ずる(それだけで誤訳の指摘の由来とするのは、そう感じない者にわかりづらい)。

#源氏物語 を読む】
源氏が広大な六条院を建て、対に女たちを配置したのは、内部で女を分割して管理するためであろう(たとえば紫上も、他の女へ出向く源氏を直接は見ない)。
外に対しては女たちを囲い込んで守る目的があるように思う。
#少女 「この町の中の隔てには塀ども廊などをとかく行き通はしてけ近くをかしきあはひにしなし給へり」(源氏物語3、538、「四町それぞれの間の仕切りは、数々の塀や廊などを、あれこれ往き来できるようにしており、親しく趣あるお付き合いができるように配慮」539注5)
断定できるほど知識がないものの、町ごとに塀と廊(従来、どちらも仕切の一種としてきたらしい)で切り離され繋げられている、と理解できそうだ。