たとえば、さっきまで俺がほっつき歩いてた、楊樹浦のユダヤ人街だ。白ペンキばかりがけばけばしいバラック建ての間から、ふいに、およそ辺りの様子とは不似合いな、甘ったるい花の香りが漂ってきたりする。つまり、この町の春にはそんなところがあるんだ。うっかりしていると、ぼんやり同じところに半日も佇んでいたりする、人のこころを空っぽにする何かが、春になるとこの町をすっぽり包みこむ。そんな町に、懐に入れたピストルのちょっと手ごたえのある重さ……俺は嫌いじゃない。
『ブランキ殺し上海の春(ブランキ版)』から、繃帯の台詞。繃帯は顔の半分を汚れた繃帯で巻いた男。道端で拾ったピストルで頭の上の虻を撃ったところ。
虻を撃ったのは、紙弾頭のおもちゃの弾丸だ。実弾は……またどこかで拾えるだろうか?