ブランキの彗星論
《今日では誰もが彗星をひどくばかにしている。彗星は優越的な惑星たちの哀れな玩具なのだ。惑星たちは彗星を突き飛ばし、勝手気ままに引きずりまわし、太陽熱で膨張させ、あげくの果てはズタズタにして外に放り出す。完膚なきまでの権威の失墜! かつて彗星を死の使者としてあがめていた頃の、何というへり下った敬意! それが無害と分かってからの、何という嘲りの口笛! それが人間というものなのだ。》――オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』
人々は彗星の非力を言う一方で、地球が彗星の衛星にされかねない可能性や、地球に衝突した場合の破壊力といった不安も述べ立てた。ブランキは、それらたがいに矛盾する、あるいは内部的に矛盾をかかえた諸説を批判して論を進め、彗星とは「謎の役割を果たすだけ」の「定義不可能な物質」と結論する。
『天体による永遠』の論点は、天文を論じるための予備的な議論を除くと、「彗星」「天体の誕生」「宇宙の無限」くらいに分けられるが、主題の「永劫回帰」を導くには彗星を論じる必要はない。むしろ「彗星こそ回帰の主体」といった誤解を与えかねないが、なぜ彼は彗星に少なからぬページを割いたか。
引用は浜本正文訳(岩波文庫)から。以後も同様。