よしなしごと。昨年は行った難民・移民フェスに、今年は当日朝に雨模様だったので行かなかったのを反省しつつの徒然。

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独ショルツ内閣の食糧農業相(緑の党所属)が、今月初め、EU域外からの難民申請者Asylbewerbernに対して、入境前に初期審査を行うべきだと述べた。

「我々はEU国境で、入境する人が誰なのか、どこから来たのか、居続ける可能性がどれくらいなのかを​知る必要がある」
そして、
「私は、外国人を自国民とするAusländern Inländer zu machenことに、我々が成功する事を願っている。彼らが我々の言語を話し、基本法を遵守し、この地で生計を立てているのであれば」

この発言に、緑の党青年部が声を上げた。ショルツ連立政権は「発足時に人道的な移民政策humanitären Migrationspolitikを約束したのに、今や欧州の周囲に鉄条網を巡らしたがっている」と。

ここには一筋縄ではいかない問題がある。

(続く)

食糧農業相が懸念するのは、まず、反移民を掲げた右派ポピュリズムが欧州連合諸国で権力を掌握する事である。
とともに、移民受け入れ国の差別的姿勢が、移民の不満のタネとなり、結果として欧州の民主主義よりも出身国の権威主義的政権に心を寄せてしまう事につながっている事である。

「「あなたはここにそぐわない」„Ihr gehört nicht hierzu“と言い続けたら、言われた者はそう振る舞うだろう」

これらの問題に対処するための"実務的な"妥協が、彼が言う入境審査であり、また、国民として受け入れられる条件の設定である。移民を嫌い排除したがる人々の主張のひとつが、移民はこの国で生きる能力に欠けるという事であるならば、社会人としての能力を立派に満たしている人々は、国民として迎え入れられて当然だろう。

(続く)

ドイツは移民の多い国である。移住第一世代の市民だけで1530万人。第二世代以降の人を加えると2020万人。人口の四分の一弱が移民系の人々である。

中核を成すのが所謂「ガストアルバイター」。移民ではなく、一時的な労働力として招かれた人々で、意訳すれば"出稼ぎ労働者"。旧西独は政府間協定に基づき、トルコから大量のガストアルバイターを呼び寄せた。彼らは西独の高度経済成長を底支えし、祖国に戻らずドイツに定住し、母国から家族を呼び寄せ、子供を産み、差別に直面しながら、国籍関連法の改正を経て、少なからぬ人々が、名実ともにドイツ国民となった。

トルコ人ガストアルバイターの子孫は、実業界、スポーツ界、学術界、政界など、さまざまな分野で活躍している。
ジェム・オズデミル食糧農業相のように、

彼の父親アブドゥッラーは1963年にアンカラから東に300kmほどのトルコ中部の小さな町パザールから、母親のニハルは1964年にイスタンブルから、それぞれ旧西独にやって来た。アブドゥッラーは消火器製造工場を務めあげ、ニハルは自分の仕立服店を開いた。

(続く)

二人は既に故人で、今はバーデン=ヴュルテンベルグ州バート・ウーラッハのイスラーム教徒墓地に眠っている。

大都会出身のニハルは垢ぬけた女性で、一人息子のジェムに「キリスト教徒の隣人とは仲良くなさいね」とさとした。「だって信じてる神は結局一緒だし」。彼女は、夫のアブドゥッラーとともに、世俗的なアタテュルクのトルコを信じていた。

ジェム・オズデミルが若い頃、ドイツのキリスト教民主同盟(CDU)のような政党がトルコにもあったらいいと言った時、ニハルは、「宗教がベースの政党はヤバいわよ」と反論したという。オズデミル家は、東方から来た客でありつつ、西ヨーロッパ主流の文化に生きていた。

ジェムはまた、学校でドイツ人だけでなく他の国から来たガストアルバイターの子供たち(ポルトガル、ギリシャ、イタリア、旧ユーゴなどなと)と付き合いながら、多用な言語と概念に肌で触れた。

彼らは、現代ドイツの多様性の培地であり申し子だった。

(続く)

その後もドイツは、国外から多くの人々を受けて入れてきた。過去10年間の移住者の平均年齢は29.9歳で、全人口の47.0歳よりはるかに若い。少子化の進むドイツで、彼らが国民Inländerとして「統合」されるなら、ドイツは強国であり続けられるだろう。

そして彼ら近年の移住者で最多(27.9%)なのは、庇護を求めてきた難民である。

余談。

今日5月21日は、チェルケス人(アディゲ人)虐殺追悼の日である。18世紀以降、コーカサス地方はロシア帝国の侵略対象になり、現在のソチを中心とする黒海北東岸一帯に暮らしていたチェルケス人は長らく続く戦いを強いられた。1864年、クラースナヤ・ポリャーナКрасная Полянаと現在呼ばれるチェルケス最後の拠点が陥ち、敗北した彼らは殺害されるか餓死するか、さもなくば他国への流亡を強いられる運命をたどる。

ちなみに5月21日は、侵略したロシア軍の各部隊がクラースナヤ・ポリャーナに集結し、総司令官である大公ミハイル・ニコラエヴィチМихаил Николаевич(皇帝アレクサンドル2世の弟)の臨席のもと、戦勝のパレードと祈りの儀式を行った日であるため、チェルケス人の追悼の日として選ばれた。
クラースナヤ・ポリャーナは、訳せば「赤い草地」だが、その赤は、ロシア軍の火砲に斃れた多くのチェルケス騎士が流した血の色だといわれる。

オズデミルの父親は、実はエスニックにはトルコ人ではない。虐殺を逃れてトルコに移住したチェルケス人の子孫である。彼は、父系血統的には、チェルケス人である。

オズデミル大臣は今日、ツイッターにビデオメッセージを寄せた。彼は語る。言葉を補いながら抄訳してみる。

--今日5月21日は、世界中のチェルケス人にとり、悼みの日です。
 チェルケス人の歴史は、単に受苦と抑圧の物語ではありません。それは抵抗の物語でもあります。ふるさとを失ってから159年間、自分たちの豊かな文化を守ろうと苦闘してきたからです。
 はるか昔に起きたジェノサイドを、思い起こしてなんになる、という人もいます。でも、すべてのジェノサイドは、決して忘れ去られてはならないものなのです。私はそう信じます。それらを無かったことにするのを、認めてはいけません。

「それは現在に関わり、私たちすべてに関わることなのです」

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Cem Özdemir
@cem_oezdemir

Am 21. Mai gedenken wir dem Völkermord an den #Tscherkessen.

21 Mayıs'ta #Çerkes soykırımını anıyoruz.
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Cem Özdemir on Twitter

“On May 21st, we commemorate the #Circassian genocide. Am 21. Mai gedenken wir dem Völkermord an den #Tscherkessen. 21 Mayıs'ta #Çerkes soykırımını anıyoruz.”

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