https://www.tkhunt.com/1926136/ 「高速道路に車が落ちた」乗用車が橋の脇から東名高速の上り線に転落 子ども2人が病院に運ばれる 運転手は逃走中=静岡・浜松市【速報】 #JNN #Local #NEWS #NewsJapan #SBS #SBSテレビ #TBS系列 #TV #UCOLVB0iYK8ahQ0mFnLF8g #ニュース #ローカル #ローカルニュース #静岡 #静岡放送 #静岡新聞 #静岡新聞ニュース #静岡県
https://www.wacoca.com/news/2525978/ 東日本大震災で対応にあたった“現場指揮官”を防災アドバイザーに「『住民の地域力の向上』で被害が少なくできる」=静岡・沼津市 #Japan #JapanBreakingNews #JapanNews #JapanToday #JNN #Local #NEWS #SBS #SBSテレビ #TBS系列 #TV #UCOLVB0iYK8ahQ0mFnLF8g #ニュース #ローカル #ローカルニュース #大震災 #静岡 #静岡放送 #静岡新聞 #静岡新聞ニュース #静岡県
東日本大震災で対応にあたった“現場指揮官”を防災アドバイザーに「『住民の地域力の向上』で被害が少なくできる」=静岡・沼津市 - WACOCA NEWS

静岡県の第4次地震被害想定で、8メートル超えの津波が想定される沼津市西浦地区では、東海地震の津波対策で19年前に建てられたタワーに上りました。

WACOCA NEWS
https://www.tkhunt.com/1838408/ なぜ?こんなに違う…南海トラフ巨大地震“新被害想定” 静岡の死者数 国は「10万3000人」県は「2万2000人」理由は“前提条件” #JNN #Local #NEWS #NewsJapan #SBS #SBSテレビ #TBS系列 #TV #UCOLVB0iYK8ahQ0mFnLF8g #ニュース #ローカル #ローカルニュース #静岡 #静岡放送 #静岡新聞 #静岡新聞ニュース #静岡県
なぜ?こんなに違う…南海トラフ巨大地震“新被害想定” 静岡の死者数 国は「10万3000人」県は「2万2000人」理由は“前提条件”

なぜ?こんなに違う…南海トラフ巨大地震“新被害想定” 静岡の死者数 国は「10万3000人」県は「2万2000人」理由は“前提条件”▽関連記事はこちら▽静岡県内の死者数最悪の場合約10万3000人 南海トラフ巨大地震被害想定13年ぶり見直し https://post.newsdig.tbs.co.jp/sys/articles/preview/sbs/1823788南海トラフ巨大地震の新被害想定 静岡県内死者最悪10万人以上 10年ぶり見直しも厳しい結果https://post.newsdig.tbs.co.jp/sys/articles/preview/sbs/18220433月31日、国が公表した「南海トラフ巨大地震」の新しい被害想定では、静岡県内の死者が10万人以上という厳しい結果が出ました。これまでの取り組んできた対策を生かし、死者を減らすにはどうしたら良いのでしょうか。<国のワーキンググループ主査 福和伸夫名古屋大名誉教授>「残念ながら被害を減らすための努力が十分でなかった。津波被災地域からの移転だとか、建物の耐震化が当初の目標と比べて進んでいない」国の検討会の取りまとめ役を務めた名古屋大学の福和伸夫名誉教授です。「少子高齢化で若い人が減る中、甚大な被害を出したら日本は取り返しのつかないことになる」と指摘します。新たな被害想定です。地震の揺れや津波を引き起こす断層のモデルは、13年前の前回の想定と基本的に変わっていません。静岡県内の市町には、最大で震度7から6弱の揺れが襲います。津波の第一波は最短2分で到達。高さは下田市で最大31m(前回33m)、静岡市清水区で11m(前回11m)、浜松市で17m(前回16m)、沼津市で10m(10m)に及びます。死者数は、最悪の場合、国全体で約29万8000人、県内では約10万3000人となり、13年前の想定から、わずかに減ったものの依然、厳しい数字です。<国のワーキンググループ主査 福和伸夫名古屋大名誉教授>「耐震化を進めれば被害は圧倒的に減ります。それから津波避難意識を高めれば、津波被害、津波による死者数は圧倒的に減ります。全力で被害を減らす方向に我々全員が意識を変えないといけないんだということだと思います」市・町ごとの最大の津波の高さと、1mを超える津波が到達するまでの時間です。静岡県西部では13年前の想定より高くなった所や到達時間が早まった所があります。中部では、静岡市駿河区と焼津市で前回より低くなりましたが、それでも10mを超え、清水区と焼津市では静岡県内で最も早く2分で津波が到達する想定です。東部と伊豆の西海岸でも巨大な津波となり、わずか3分から4分で第一波が襲います。逃げる猶予は、わずかです。下田市では31m。南海トラフが震源ならば猶予がありますが、相模トラフの地震ならば、もっと早く到達することに気をつけなければなりません。新しい想定が出た一方、静岡県内の沿岸部では、この10年間で津波避難タワーや防潮堤などの整備が進みました。住宅の耐震化率も向上しています。このため、県は2022年度末の時点で死者が8割減り、2万2千人になったと試算していました。今回、国が出した死者数10万3000人との差について、鈴木康友知事は前提条件の違いだと話します。<静岡県 鈴木康友知事>「しっかりとした防災対策を講じていけば大幅に被害を減らすことができるということも合わせて提言されておりますので、これまで進めてきた防災対策をしっかりと今後も継続していきたいと考えております」防災対策で今、大きな課題となっているのが高齢化です。伊豆半島など高齢者の多い地域では、都市部と比べて木造住宅の耐震化率が低いのが現状です。さらに、津波から逃げるのにも時間がかかるため、対策が不十分ならば犠牲者は減らせません。<国のワーキンググループ主査 福和伸夫名古屋大名誉教授>「静岡県はTOUKAI(倒壊・倒壊)-0プロジェクト以降、20数年間に渡って日本の地震対策をリードしてきてくれた県です。ですが、少しこのところ地震の問題よりは風水害の問題に注力されているところもあったと思います。改めて本気になって、耐震化と津波対策に専心していただきたいと思います」国は、今回の報告書で「防災意識を高めること」や「耐震化」などの対策、災害関連死を減らすためにも「被災者の生活環境の確保」を求めています。また、「南海トラフ地震臨時情報」を生かすことで被害を減らせるとしています。備え続ける意識が必要です。詳細は NEWS DIG でも!↓https://newsdig.tbs.co.jp/articles/sbs/1826632

TKHUNT
小学生4人の自転車の列に軽トラック突っ込む 1人死亡1人意識不明重体2人軽傷 78歳男逮捕=浜松市中央区

小学生4人の自転車の列に軽トラック突っ込む 1人死亡1人意識不明重体2人軽傷 78歳男逮捕=浜松市中央区3月24日夕方、浜松市中央区で軽トラックが小学生の列に突っ込み、女の子1人が死亡、別の1人が意識不明の重体となっています。<野田栞里記者>「事故があったのは浜松市動物園のすぐそばのS字の坂道です。事故はこの坂道の途中で起こりました」24日午後4時半頃、浜松市中央区舘山寺町で坂を下っていた軽トラックが、小学生4人の自転車の列に後ろから突っ込む事故がありました。この事故で近くに住む小学2年生の女児(8)が死亡しました。また、この女児の姉で小学4年生の女児(10)が頭を打ち意識不明の重体で、小学4年生の10歳の女児2人が軽傷です。警察は、軽トラックを運転していた浜松市中央区の農業の男(78)を過失運転傷害の疑いで現行犯逮捕しました。男は警察の調べに「運転中にけがをさせたことは間違いない」と容疑を認めているということです。

Biking Japan
「津波が起きた時はみんな沈んでしまう」自主防災組織の活動見直しで地域の防災力を高める【わたしの防災】

「津波が起きた時はみんな沈んでしまう」自主防災組織の活動見直しで地域の防災力を高める【わたしの防災】南海トラフ地震など大規模な災害を乗り越えるには、地域で助け合う「共助」が欠かせません。高齢化が進むなか、「自主防災組織」の活動を見直そうと住民たちが動き出しています。3月9日、JR東海道線吉原駅周辺の静岡県富士市鈴川本町で津波避難訓練が行われました。この地区には、南海トラフ巨大地震で最大2メートルを超える津波が襲うと想定されています。町内には、「津波避難タワー」がありますが、この日、逃げたのは別の場所でした。<富士市鈴川本町 鈴木雅也自主防災会長>「津波が起きた時は、ここら辺がみんな沈んでしまうと、そういうような危険性のある地域となっている」タワーに逃げて命が助かったとしても、長時間、取り残されてしまう恐れがあると言います。富士市の鈴川本町には、田子の浦港や港につながる川から津波が襲ってくるとみられます。町内全域が浸水想定区域ですが、津波の到達までには15分から25分ほどの猶予があると想定されています。そこで、今回の訓練では、駅南側の小高いエリアで津波の浸水想定区域からは外れた場所にある公会堂まで避難する計画を立てました。富士市のアドバイスを受けながら住民たちでつくる自主防災組織が主体的に考えました。<富士市鈴川本町 堀内是則町内会長>「1人でも多くの命を救いたいという気持ち。1人だけではどうしていいのかわからない。地区の人たちが助け合わないと乗り切れない」訓練では「大きな揺れに襲われ、動けない時間を4分間」と想定し、「津波の浸水想定区域の外側にたどり着くまでの時間」を加えて、避難が間に合ったのか確認しました。<住民>「やっていかないとその時が動けないだろうから重要」「訓練にもなかなか出てこられない方もいらっしゃると思うので、そういう方が一番大事じゃないかなと思う」高齢化が進み、訓練に参加できない人がいるのが自主防災組織の悩みです。<堀内町内会長>「町内みんなで助け合うんだという意識が生まれてくると思うので、そういったものをどんどん積み上げていって、万が一の時には、1人でも助かる命は助けるという方向でいければいい」<参加者>「安否確認ばかりしていると、火が大きくなっちゃうから」どうすれば、災害時に自主防災組織が機能するのか、話し合った地区があります。16の町内がある富士市吉永地区では3月、自主防災会長や班長などおよそ70人が集まり、防災会議を開きました。「学校へ行けば養護教諭さんがいらっしゃいますよね」「電気、水道、ガスが止まっている訳だから」「カセットコンロを持ち寄る」これだけ大勢で防災について話し合うのは初めてです。<富士市吉永地区 木野正美町内会連合会会長>「遠くの親戚より近くの他人と言いますけれども、隣、近所3軒協力すれば何とか生き残れると思う」吉永地区でも高齢化が課題となっています。普段からのコミュニケーションを密に災害時にも助け合おうとしています。<木野会長>「70才以上の単身、もしくは老人のみが住んでいるお宅が非常に多い。やっぱり隣近所でみなさんで見ていただくというのが一番理想」<富士市防災危機管理課 市川禎久課長>「大規模な災害が発生した場合は行政も被災しますので、全てに行政の力が届くのは時間がかかりますので、日頃から自主防災会の共助の力を高めてもらえたら」詳細は NEWS DIG でも!↓https://newsdig.tbs.co.jp/articles/sbs/1797633

WACOCA NEWS
静岡の街なか盛り上げる「けやき IRODORI FES」ラジオ公開生放送に竹内由恵さん登場

静岡市の街なかを盛り上げようとラジオの公開生放送やマルシェなどのイベントが3月20日、行われました。静岡市葵区の中心部にあるけやき通りで開かれた「けやきIRODORIFES」。会場には、地元の飲食店や雑貨店などが出店し、多くの人で賑わいました。また、イベントではSBSラジオ「ゴゴボラケ」の公開生放送が行われ、ゲストとしてフリーアナウンサーの竹内由恵さんが登場しました。<竹内由恵さん>「習い事の話とか子育ての話を色々まだまだしたいことがあって」結婚を機に静岡県内に移住した竹内さんは、静岡の印象や子育ての悩みなどを語り、イベント会場を盛り上げました。詳細は NEWS DIG でも!↓https://newsdig.tbs.co.jp/articles/sbs/1802348

Anna Post
「被災者であって、被災者でない私」が語る東日本震災 聞き手に“目線合わせる”女子大学生の語り部

「被災者であって、被災者でない私」が語る東日本震災 聞き手に“目線合わせる”女子大学生の語り部東日本大震災からまもなく14年。あの日、岩手県釜石市の小学校で巨大な揺れに襲われ、現在は静岡県内を中心に語り部活動をしている女子大学生がいます。「海の近くにいたら、命を落とした子どもの一人になっていたと思う」津波の直接的な被害は経験せず、自らを“被災者であって被災者でない”と称する語り部は、当時の自分と同じ、津波を知らない人たちに目線を合わせて言葉をつむぎ続けています。「体感したことがないような巨大な揺れだった」“当たり前”を奪った震災「本当は友達と遊んでいたかもしれない放課後、家族と一緒にご飯を食べていたかもしれない夜。そんな当たり前の日常が、突然消え去りました」岩手県の沿岸部・釜石市出身で、静岡大学4年生の髙橋奈那さん(23)。震災の教訓を伝える髙橋さんの語りは、“当たり前の尊さ”を訴えることから始まります。力強く言葉を発する高橋さんですが、この14年間、防災の見つめ方に関してさまざまな心境の変化がありました。東日本大震災が発生した2011年3月11日。小学3年生だった髙橋さんは、午後2時46分、通っていた釜石市立小佐野小学校の教室で大地震に見舞われ、同級生と一緒に机の下に隠れました。「体感したことがないような、隠れていた机を抑えていても今にも飛んでいきそうなほどの巨大な揺れだった」と冷静に振り返ります。揺れがおさまったあとは、先生の指示のもと、全校児童約250人が校舎の外のグラウンドに一斉に避難しました。その後は何度も余震に襲われ続け、周りには「先生怖いよ」と泣き出してしまう児童も。「3月の寒さも相まって、不安や怖い気持ちが増していた」と思い返す髙橋さん。少しでも安心感を得られるようにと、みんなで縮こまり体を寄せ合って、暖を取りつつ身の安全を図りました。母親と祖母が学校に迎えに来たのは、最初の地震の発生から約1時間半後。「家族の顔を見た瞬間、とても安心したのを鮮明に憶えている」。そう語った髙橋さんの表情は、少しだけ緩んだようにも見えました。父親と2週間連絡がとれず…初めて“身近な人の死”を連想その後は自宅で避難生活を続けた髙橋さん。ガス・電気・水道が一切使えない中、しばらくの間、母親と祖母がカセットコンロを使って温めたご飯を食べていました。なんとか食料は確保できていましたが、一つ大きな不安がありました。震災後、別の場所にいた父親に何度電話をかけても応答がなかったのです。避難所や安否が確認できる施設をくまなく回りましたが、当時父親が働いていたのは、大規模な“津波火災”に襲われた地域である山田町。「巻き込まれてしまったのではないか」。そんな考えも頭をよぎりました。結果的に2週間後、父親の無事も確認できましたが、髙橋さんは当時の心の揺れ動きを鮮明に覚えていました。「今まで感じたことがない不安で、生きているかも死んでいるかもわからない、初めて“身近な人の死”を覚悟した出来事でもあった」。“あの日、私が海の近くにいたら生きていたのかな” 防災の道へいざなった友人のひと言“地震の話はしてはいけない”、大切な家族を失った友人も多い中、震災後はそんな雰囲気が漂っていたと言います。話すことがなくなったことで自然と震災の記憶に蓋を閉じるようになり、防災についての関心も薄らいでいきました。そんな髙橋さんを防災の道に導く出来事がありました。高校生の時、学校の課外活動に参加し、釜石市内の内陸部に住んでいた友人が防災について発表している際に不意に放ったひと言がきっかけでした。「あの日、私が海の近くにいたら生きていたのかな」髙橋さんは、この問いかけを決して他人事とは思えなかったと言います。というのも、震災時に髙橋さんがいた小学校も海から5キロほど離れていて、自身も津波を見ておらず、その直接的な被害を経験していません。「どう逃げたらいいかもわからなかったし、怖くて動けなかったかもしれない。海の近くにいたら、命を落とす子どもの一人になっていたと思う」震災前は、津波に関しての防災教育を受けたことがなく、津波がどんなものかも理解できていませんでした。改めて震災について見つめ直す中で突き付けられた“知らないことの怖さ”。「誰もが、どこにいても津波から生き延びられるようになってほしい」その思いを結実させるために、防災を呼び掛ける立場になりたいと考えるようになりました。“被災者であって、被災者でない私”語り部として活動する葛藤髙橋さんが高校卒業後の進学先として選んだのが、静岡県です。「『南海トラフ巨大地震』による甚大な被害が想定される地域で多くの人の防災への関心を高めたい」大学1年生の時に釜石市の研修を受けて「大震災かまいしの伝承者」と銘打った語り部としての認定を受けたほか、「静岡大学学生防災ネットワーク」という大学のサークルにも所属しました。「“未”だ被災していない地」そして「“未”来に被災が懸念される地」という意味で、静岡県は、いわば、“未災地”。「巨大地震に備え、津波避難ビルなどハード面の対策も進んでいて、何より被災地の教訓を学びたいという意志を強く感じる。未災地・静岡県の防災意識の高さに驚かされた」と、さまざまな形で震災伝承と向き合う中、多くの発見もありました。一方で、震災伝承に向き合う上で、苦悩することも。大学2年生の頃に、静岡県内で語り部活動をしていた時、聴講していた人からこんな言葉をかけられました。「津波から逃げた人の話を聞けるかと思っていた。想像していた内容と違った」自らを“被災者であって、被災者でない”と称する髙橋さん。「“直接津波を見ていない自分が伝承に関わっていいのだろうか”という自分の中で葛藤していた部分を突かれたようだった」と打ち明けます。語り部を続けるべきか迷うこともあったと言いますが、そこから救ったのも、髙橋さんの語りを聞いた人の言葉でした。「私の子どもも、当時の髙橋さんと同様に津波を知らない。災害時、子どもたちが同じ状況に陥るかもしれないと気付けるから、津波を知らない視点での髙橋さんの話もすごく大事だと思います」。小学生などを対象に語り部活動をしていた時、ある児童の母親からそんな言葉をかけられました。視界が開けたような気がしたという髙橋さん。「私にしか語れない震災がある」語り部として活動することに自信を持てるようになり、今もこうした聞き手からの温かい言葉を原動力に言葉をつむぎ続けています。4月からは大学院へ進学 防災を学びつつ“命を守る種をまきたい”「“未災地”と被災地、それから被災地と被災地をつなぎ、復興の過程も語れる伝承者になりたいと考えています。今度は私が大切な人や場所を守っていきたいなと思って活動しています」大学生としての最後の語り部活動をした2月24日。語り部としてのキャリアをスタートさせた静岡で、こう思いを伝えました。震災伝承のほか、能登半島地震の被災地のボランティア活動などにも参加し、防災に関わる多くの人との縁を紡いできた大学生生活。4月からは千葉大学大学院に進学し、学校や地域との連携の視点から、防災などについてより深く研究したいと考えています。「震災伝承って直接命を守ることにはつながらないかもしれないですけど、命を守る種をまいたり、命を守る連鎖を生んだりすることにはつながると思うので、私自身からそれをつくっていきたいなって思っています」津波は見ずとも、聞き手と同じ目線で防災を見つめ、語り部活動を続けてきた髙橋さん。地道な語りを通じてまいた小さな種が、“誰もが災害から命を守れる社会”として大きく花開くことを信じて、これからもまっすぐに、震災伝承と向き合います。【あわせて伝え続けたい東日本大震災の記憶】▽体育館に700の遺体 失った11人の生徒…「この子たちの思いを絶対に伝える」石巻西高元教頭が誓った“残りの人生の役割”▽「一緒に逃げればという気持ち 今も捨てきれない」園児9人が津波の犠牲に “100%守る”園長の覚悟▽「誰も死なないでほしい」1年で教員を辞め、児童を守る“答え”探しに先生は釜石へと向かった詳細は NEWS DIG でも!↓https://newsdig.tbs.co.jp/articles/sbs/1776193

WACOCA NEWS
https://www.wacoca.com/news/2448705/ 物流拠点『コンテナターミナル』で津波避難訓練 運転手や荷役作業員などが参加…避難場所と経路の見直しの必要性実感=静岡・清水港 #Japan #JapanBreakingNews #JapanNews #JapanToday #JNN #Local #NEWS #SBS #SBSテレビ #TBS系列 #TV #UCOLVB0iYK8ahQ0mFnLF8g #ニュース #ローカル #ローカルニュース #津波 #静岡 #静岡放送 #静岡新聞 #静岡新聞ニュース #静岡県
物流拠点『コンテナターミナル』で津波避難訓練 運転手や荷役作業員などが参加…避難場所と経路の見直しの必要性実感=静岡・清水港

物流拠点『コンテナターミナル』で津波避難訓練 運転手や荷役作業員などが参加...避難場所と経路の見直しの必要性実感=静岡・清水港東日本大震災の発生からまもなく14年。静岡県の清水港では3月6日、南海トラフ巨大地震を想定した津波避難訓練が実施されました。2025年は初めてドローンを導入した訓練が行われました。県内最大の物流拠点である清水港。南海トラフ巨大地震を想定した訓練にはトレーラーの運転手や荷役作業員など約200人が参加しました。巨大地震が起きると、清水港には最大3メートルの津波が約5分で到達すると想定されていて、素早い避難が求められます。今回の訓練で全員の避難にかかった時間は7分。避難場所や避難経路の見直しが必要だと分かりました。また、今回はドローンを活用した訓練を初めて行いました。どこが危険なのか。災害時に、速やかに把握できるシステムの利便性を確かめました。<清水コンテナターミナル 西山一実常務取締役>「参加している皆さん全員が一度訓練をやっていれば、いざという時に行動に移せるだろう。皆さんにも身につけてもらいたい」コンテナターミナルは災害からの復旧・復興に欠かせない物流ポイントです。県は、訓練を教訓に対策を改善していきたいとしています。詳細は NEWS DIG でも!↓https://newsdig.tbs.co.jp/articles/sbs/1772554

WACOCA NEWS