「嘘」は日本では「うそ」の意味だが、中国では「息」「息をする」の意だと漢和辞典にある。
いつ頃から使われうようになったか知らないが、「息を吐くように嘘をつく」という喩え。「嘘」の両義性が背後にあってできた喩えだろうか。考え過ぎ?
「嘘」は日本では「うそ」の意味だが、中国では「息」「息をする」の意だと漢和辞典にある。
いつ頃から使われうようになったか知らないが、「息を吐くように嘘をつく」という喩え。「嘘」の両義性が背後にあってできた喩えだろうか。考え過ぎ?
記憶の錯誤、または偽造のこと
レーモン・ルーセルの場合
https://johf.com/memo/049.html#2024.8.20
人は誰も過去を作り出す。ただ思っただけにすぎないのに、その思ったことをもって、過去もそうであったと思い込む。
記憶とはそのようなもの。
寺山だけが過去を創作してしまうのではなく、誰もが過去を創作する。
《記憶なるものの凡てが想起という経験を擬似的に説明するための形而上的仮構なのである。当然その想起以外に記憶の証拠となるものはない。こうして虚構に導いたものは想起経験の中で経験される過去性である。つまり、過去として何かが経験される、という想起経験の本質が自然に過去という実在を想定させてしまうのである。》――大森荘蔵「言語的制作としての過去と夢」
過去の創作は、基本的には無意識的に行われるが、意図しても行われる。
寺山の場合、意図的な過去の創作は文章作法の一部。エッセイでも、論文的なものでも、論旨を支える要所に、創作された過去が置かれている。
DOMMUNEが昨日放送した「寺山修司と60年代テレビの前衛」のアーカイブをYouTubeで公開
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=GvtHoRGj-kg&t=5514s
《寺山修司にあっては、句も歌も、およそ自身の感懐を吐露するというようなものではありえなかった。彼は、句や歌を作ることによって、自身の感懐なるものを作りあげたのであり、場合によっては自身の物語、自身の出生の秘密さえつくりあげたのである。
たとえば塚本邦雄はその寺山修司論「アルカディアの魔王」において、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」ほかの歌を引いた後に次のように述べている。
「反生活と人間のなからひに、引きさかれつつ現れた、父、家、青年、祖国、その属性を、もはや私に即して読む愚を繰返す読者はあるまい。これらのヴォカブラリーを以て彼の思想的深化を説くのも、作者にとっては有難迷惑にすぎないだらう」
塚本邦雄のこの指摘は何度繰り返されても過ぎることはないだろう。いまなお「私に即して読む愚を繰返す読者」が少なくないからであり、しかもそれが驚くまいことか歌人に少なくないからである。(……)寺山修司は嘆声を発したのではなく、嘆声を作ったのである。あたかも劇のなかの一青年の嘆声を台詞として作るように作ったのである。》――三浦雅士「二重性の連鎖――寺山修司の言葉」(思潮社『続・寺山修司詩集』解説)
《私は一九三五年十二月十日に青森県の北海岸の小駅で生まれた。しかし戸籍上では翌三六年一月十日に生まれたことになっている。この三十日間のアリバイについて聞き糺すと、私の母は「おまえは走っている汽車のなかで生まれたから、出生地があいまいなのだ」と冗談めかして言うのだった。》――寺山修司『誰か故郷を思はざる』
《この自伝には寺山修司が得意とするフィクションが横溢している。彼は「青森県の北海岸の小駅」で生まれたのではなく、実際には弘前市紺屋町にあった父親の転勤先の家で生まれている。彼の母親が「おまえは走っている汽車のなかで生まれた」というような冗談を言う人かどうかもあやしい。ここには彼が「走っている汽車」というイメージに同化しようとする、彼自身の「外に向かって育ちすぎた」フィクションがあるのだ。》――佐々木幹郎「「死ぬのは他人ばかり」か?」(思潮社『続・寺山修司詩集』解説)
「実」の世界から「虚」の世界への招待という形で、寺山修司は出口を用意した。
観客を無理やり舞台に上げようとして問題になった『邪宗門』のヨーロッパ公演(1971年)がその代表例。
https://fedibird.com/@mataji/111677875601612878
劇団員でない者を当人の同意なしに舞台に立たせるというアイデアは、寺山が演劇活動を開始する前からのものだったという。
ラジオドラマを書きはじめたばかりのころ、寺山が番組制作者に述べたこと。
《街頭でパッと人間を拉致するんだ。全然不特定の人。それで目かくしして車に乗せて三十分か四十分か街を走りまわる。それからどこか劇場の舞台の真ん中におくんだ。ベルが鳴り、幕があがって、スポットライトが当たる。そして目かくしをはずすと、その人物は「助けてくれ〜!」と絶叫するだろう。
「こんないい芝居はないだろう?」》――田澤拓也『虚人 寺山修司伝』
公演が終わってロビーに出てきた寺山を一人のオランダ婦人が待っていた。 「ハンスは今どうしてるのでしょう」 ハンスは婦人の夫で、地元の郵便配達夫。 夫婦は3年前、天井桟敷の『邪宗門』を見にいった。劇がはじまって間もなく、黒衣の男が客席に降りてきて、ハンスを無理やりステージに引き上げた。夫がステージの上で化粧され、衣裳を着せられ、劇中の人物となって多少の演技をしたのを婦人はおぼえている。楽しそうだったという。その日、ハンスは家に帰らず、3年たった今ももどっていない。ハンスは今どうしてるのでしょう。 この出来事を枕に寺山は長文の演劇論を開始する。 私は虚構と現実の混在のなかで人間性の回復を図りたい、なぜなら―― 《想像上の体験はしばしば現実生活の同義語であり、現実生活は、気がついたとき想像によって支配されていたりする。この両者は定義づけられて区別されるよりも前に、相互的に運動しながら、私たちの生活そのものの二輪の車となっており、ドラマツルギーは両者の区別が提起するものの本質にではなく、その両者が混在し、区別不可能化している事実の上にこそ、うちたてられるべきだからである。》――寺山修司「なぜ演劇なのか、呪術なのか」 #寺山修司 #邪宗門
『戻橋背御摂(もどりばしせなにごひいき)』後半の「じつは」。
場所は江戸、隅田川岸。
切見世(下級の女郎屋)の亭主・鬼七、じつは藤原純友の遺臣・伊賀寿太郎。
鬼七の女房・お綱、じつは純友の侍女・苫屋。
切見世の女郎・三日月お仙、じつは苫屋が生んだ純友の遺児。
魚屋の海老雑魚の十、じつは頼光四天王の一人・渡辺綱。
切見世の路地番・喜之助、じつは渡辺綱の家臣・三崎の藤内。
貸し物屋の金六、じつは渡辺綱の草履取り・三田平。
獣屋(獣肉店)の権助、じつは渡辺綱の奴。
最後は、病の癒えた源頼光が鎮守府将軍として東国に赴任する途中、足柄山で坂田公時(おとぎ話の金太郎)を見出す舞踊劇。
猟師・斧右衛門、じつは源氏方の老臣・三田仕。
猟師・鉄蔵、じつは市原野の盗賊・鬼同丸。
馬子の胴六、じつは皇位簒奪を目指す勢力の一員・夜叉太郎国秀。
賤女・紅梅、同じく白梅、じつは源氏方からひそかに遣わされた頼光警護の娘たち。
諸羽社の境内で二人の男――瀧夜叉と源家の家臣――が争っている。
源家が神前に納めておいた宝剣・蜘蛛切丸を瀧夜叉が盗み出し、それを家臣が奪い返そうとしていることが、二人の台詞でわかる。瀧夜叉は当て身をくらわして花道を逃げ、家臣も息を吹き返してあとを追う。
端役以外のほとんど全員が正体を偽っている『戻橋背御摂』の、これが幕開け。
この冒頭ですでに偽りが仕込まれていて、まず、この蜘蛛切丸は本物ではない。本物は神殿の奥深くに隠されていて無事。
また瀧夜叉は、盗賊・袴垂保輔の手下を自称するが、じつは源家側の一員。
この場における宝剣の争奪自体が、源家が仕組んだ疑似イベント。
ある事情で、源家は蜘蛛切丸を髭黒ノ左大将道包に差し出さなければならないが、本物は渡したくない。このイベントは偽物を本物に見せかけるための工作で、ほどなく別の源家の家臣が瀧夜叉を捕らえ、(偽の)宝剣とともに戻ってきて、これを本物であるかのように人びとの前で披露することになる。
じつにじつはな『戻橋背御摂』の人物たち
上使A、じつは市原野の乞食頭・つづれの次郎で、これより先に煙草売りのふりをして館に入り込んでいた女乞食の仲間だが、それも仮の姿でじつは盗賊の首魁・袴垂保輔。
上使B、じつは平将門の遺児・将軍太郎良門。
頼光の北の方・園生の前、じつは用心のため頼光側が立てた代役で、武家のむすめ三崎。
頼光の弟・美女丸、じつは頼光家臣のむすめ小式部。
まとめて言えば、この頼光館の場で相愛関係を結んだ全員が偽物。
上手の部屋でできてしまった袴垂と三崎は、じつはいいなずけ同士であったことが判明して婚礼の式がはじまるが、そこにかつて袴垂と情をかわしたことのある田舎娘・お岩が乱入して、
「ほんにマア、なんの因果で都へのぼり、つらい憂き目に逢うぞいな。やっぱり在所で麦畑の霜ふみつけがましじゃもの。情けない身になったわいナア」
と嘆くが、このお岩がじつは平将門のむすめ七綾姫で、将軍太郎良門の異母姉。
二人の上使に先立って頼光館を訪れ、やはり難題を持ちかけていた尊国君が頼光の子を刺し殺すが、じつは殺されたのは七綾姫と袴垂の子。
その尊国君、皇位簒奪の一派に与すと見せかけて、じつは源氏の武士・秦の次郎正文。