《寺山修司は書くことで自分を隠しつづけてきた人ですが、山田さんの前では正直に素直な自分をさらけだしていたとしか思えません。寺山の性質から考えれば、そんなことが出来たのもこのときが最後だったような気がします。
 寺山がある日こんな言葉を口にしたことがあります。
「何も信じてない奴なんて友達に出来ないよね。たとえ間違っていても何かを信じている奴のほうが友達に出来る」
 彼らの友情関係として張った根は、誰にも断ち切る事はできないのです。たとえ二人が遠ざかったとしても存在している限り、関係している事に変わりない訳ですし、少なくともお互い、一人の友人の精神の中に生き延びうる個人たりえたと……》――田中未知「過去から現在・現在から未来」

同じく山田太一編『寺山修司からの手紙』より。
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#寺山修司 #山田太一 #田中未知

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寺山修司と山田太一の出会い

《大学に入ると、誰しもそうだろうけど、これからどんな友人ができるかと、期待と弱気と自負、傲慢をかかえてさぐり合うような時期があった。さしあたって隣合ったり話しかけてくれたり目が合ったりした何人かと口をきくようになった。まだかたまりきらないそんな何人かと雑談をしていて、話の流れで「そう、そういえば小野十三郎の詩にこんなのあるよね」と私がほんの一行を口にすると、中の一人がすらすらと次の一行を続けたので内心驚いた。実をいうと、幾分ハッタリ気味に口にした詩だった。中原中也じゃみんな知ってるから引用はバカみたいだけど、小野十三郎ならどうだ、こんないい詩をみんな知らないだろうと知らないに決まっている気で知ったかぶりをしたのだった。すぐ次の一行を口にされて、「そう、そう」とうなずきながら、すぐ応じられなくて、こっちの話を続けた。それが寺山さんだった。ちゃんと口をきいたのはもう少しあとで、……》――山田太一「手紙のころ」(山田編『寺山修司からの手紙』所収)

#寺山修司 #山田太一

《これはぼくと友人の往復書簡である。
友人の名は山田太一。いまはシナリオライターになって「記念樹」の台本を書いたりしている。
この手紙のやりとりを始めたとき、ぼくらは十九才と二十才だった。大学の構内で、ぼくらは貧しい時代のアルト・ハイデルベルヒを、書物とレコードと、ほとんど実りのない恋とに熱中しながら過ごしたのだ。しかし、ジュウル・ルナアルではないが、「幸福とは幸福をさがすことである」のだから、こうした古い手紙の中に過ぎ去った日を反芻してみるのも、たのしいことの一つかもしれない。
ともかく、あれから十年たったのである。何もかも終わってしまった。》――寺山修司「十九才」

「十九才」は寺山と山田の往復書簡集『はだしの恋唄』(1967年)の前書き。
山田編『寺山修司からの手紙』(2015年)による。
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#寺山修司 #山田太一

寺山修司生誕90年記念『ジャパン・アヴァンギャルド –アングラ演劇傑作ポスター展 −』が大阪で開幕、2月16日まで
https://lp.p.pia.jp/article/news/410844/index.html?detail=true

#寺山修司

寺山修司生誕90年記念『ジャパン・アヴァンギャルド』本日開幕 アングラ演劇ポスター約100点を展示

寺山修司生誕90年記念『ジャパン・アヴァンギャルド –アングラ演劇傑作ポスター展 −』が、2025年1月22日(水) に大阪・扇町ミュージアムキューブCUBE02で開幕する。関西初開催とな...

ぴあ

柳田国男博士が、黒い円形のボール紙のようなものを取りだして、しんとくに言う。

《これを、
ぴったり壁に貼りつけると、そこから壁の向こうへもぐっていける。
これ一つで、
世界中に出口ができる。
ゴムのように、
のびちぢみ自在、
持ちはこび自在、
こうして、小さくたたんで
のぞき穴にすることも、
床の上にひろげておいて
おとし穴にすることもできる。
ホラ、こうやって、
地面におくと、それでもう、
下へ降りてゆくことも
できるのだよ。》――寺山修司『身毒丸』

#寺山修司 #身毒丸 #壁抜け男

人は誰も過去を作り出す。ただ思っただけにすぎないのに、その思ったことをもって、過去もそうであったと思い込む。
記憶とはそのようなもの。
寺山だけが過去を創作してしまうのではなく、誰もが過去を創作する。

《記憶なるものの凡てが想起という経験を擬似的に説明するための形而上的仮構なのである。当然その想起以外に記憶の証拠となるものはない。こうして虚構に導いたものは想起経験の中で経験される過去性である。つまり、過去として何かが経験される、という想起経験の本質が自然に過去という実在を想定させてしまうのである。》――大森荘蔵「言語的制作としての過去と夢」

過去の創作は、基本的には無意識的に行われるが、意図しても行われる。
寺山の場合、意図的な過去の創作は文章作法の一部。エッセイでも、論文的なものでも、論旨を支える要所に、創作された過去が置かれている。

#寺山修司 #大森荘蔵 #虚実

《私が迷路に興味を持つようになった動機は、半人半牛の男が、螺旋状の中心でもの思いにふけっている一枚の画であった。
射手座生まれで、人馬宮に属する私にとって、この男(すなわちミノタウロス)の運命は、そのまま自分のことのように思われたのである。(……)何の科もなく半獣半人として生まれたばかりに殺されてしまうミノタウルスが気の毒でならなかったが、それは私自身の生まれ月(ホロスコープ)のせいと言うべきだろう。》――寺山修司『不思議図書館』

上半身が人間で下半身(性)が馬のケンタウロス。
上半身が牛で下半身(性)が人間のミノタウロス。
前後をあわせ読むと、寺山はケンタウロスとミノタウロスをいっしょくたにして、上半身が人間で下半身(性)が牛のミノタウロスをイメージしていたように見える。
記憶を創作する際の手抜かりといったところか。

#寺山修司 #ミノタウロス #迷路

《「唐十郎さん死去、84歳…「泥人魚」「ベンガルの虎」アングラ小劇場運動を先導(読売新聞オンライン)
バチバチのライバルだった寺山修司と同じ日にお亡くなりになるとは、、、5月4日は"アングラ演劇の日"に決定ですね》――お座敷テクノ on X
https://twitter.com/ozashikitechno/status/1786866889035239715

#唐十郎 #寺山修司

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唐十郎さん死去、84歳…「泥人魚」「ベンガルの虎」アングラ小劇場運動を先導(読売新聞オンライン) https://t.co/Yy4xCsi15o バチバチのライバルだった寺山修司と同じ日にお亡くなりになるとは、、、5月4日は"アングラ演劇の日"に決定ですね

X (formerly Twitter)

DOMMUNEが昨日放送した「寺山修司と60年代テレビの前衛」のアーカイブをYouTubeで公開
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=GvtHoRGj-kg&t=5514s

#寺山修司 #虚実

SUPER DOMMUNE 2024/04/25 TBSレトロスペクティブ映画祭 Presents 「寺山修司と60年代テレビの前衛」 & KILLIAN Presents QUELZA

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