私は「いかなる理由があろうとも武器をとらない」と繰り返し主張してきた。この意味は殺傷を手段として目的を達成することを否定している、ということだ。#軍隊 が行使する物理的な力は、殺傷を目的とした行為として、#自衛権 を含めて一切認めない。
https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2024/05/29/jieiken_sensouhouki/

皮肉なことに、#非暴力 の代名詞であるかのように誤解されている議会制民主主義は、たいていの場合、戦争を正当化するための役割を果す。#戦争 と#民主主義 あるいは殺傷による問題解決と話し合いは決して矛盾しない。戦争とは、殺傷行為を話し合いの上で行使することで正当化される。私は生理的にこうした「話し合い」を受け入れられない。

他方で、かつてソレルやベンヤミンが念頭に置いていた民衆の暴力としてのストライキは、現代では暴力ではなく労働者の権利として受け入れられるべきものになっている。
同様に、私は、資本と国家に囲い込まれた都市空間を表現の場とする#グラフィティ を擁護してきた。

昔のブログ記事

所有権を越える表現の自由——都市の闇に影となることについて
https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/past_articles/%E6%B0%91%E8%A1%86%E3%81%AE%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1/beyond_freedom_of_expression/

自衛権の放棄なしに戦争放棄はありえない – ne plu kapitalismo

やっとブログに自分の原稿を書くことができました。
https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2024/05/29/jieiken_sensouhouki/

「自衛権の放棄なしに戦争放棄はありえない」 #自衛権 まで放棄するの?と言われそうですが、そのとおり。#戦争放棄 の核心は武力による自衛権を放棄することだと思ってきたので、この点について書きましたが、あまりうまくは書けていない。このテーマの記事はこれからも続きます。以下、目次だけ紹介。
1. 戦争放棄の例外
2. 民衆の安全保障の観点を深化させるために
3. 自衛権としての「#ジェノサイド 」?
4. 「正しさ」と#暴力
5. 暴力が社会に占める特異な位置
6. 自衛の暴力に合理性はない

自衛権の放棄なしに戦争放棄はありえない – ne plu kapitalismo