三宅 芳夫 (@yoshiomiyake@fedibird.com)

「べらぼうな」の用法について   私の投稿に「べらぼうな」形容詞が頻出することについて、親切な読者の方から質問があったので、お答えします。  現在NHKの大河ドラマは「べらぼう」というタイトルのものを放映しているそうですが、これとは全く関係ありません。  以前書いたことがあるのですが、私は10代後半から20代前半にかけて加藤周一さんとー大学の講義にも出ずー集中的に話す機会がありました。  1919年生れの加藤さんは江戸情緒が残っている最後の世代とも言え、会話でも興が乗って来ると、しばしば「べらんめえ」口調になりました。「そんなべらぼうな話はねえ!」などはその典型です。  この会話が私の中に刷り込まれているので、時々「べらぼう」などとの語彙が飛び出してくると思われます。

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三宅 芳夫 (@yoshiomiyake@fedibird.com)

 日本の現存の作家では池澤夏樹(1945生)は、マチネ・ポエティックの福永武彦の息子として、少なくとも「リベラル」としての筋は通している。  先日の東京新聞のエッセイでも沖縄戦に触れて「昭和天皇に戦争責任はある」と断言していた。  これ、歴史的・政治的に見れば当然の結論でしかないが、現在のマス・メディアで、この自明の理を発言できる「作家」がどれだけいるだろうか?  ところで、池澤夏樹は当然文壇内では傍流である。加藤周一さんが亡くなった時も、作家として唯一追悼文を文芸誌に書いたと記憶している。  やはり文壇内で孤立していた石川淳が1987年に死去した際に、「お別れの会」で弔辞を読んだのは中村真一郎、加藤周一、安部公房、丸谷才一、武満徹の5人だった。  この時、当然大江健三郎にも声が掛かったのだが、大江は文壇内の「空気」を読んでこれを断った。このことは中村真一郎さんからも聞いた。加藤さんが「大江君も文壇内の力関係に敏感だから・・・」と嘆いていたのは、こうした背景もある。  しかし何はもとあれ大江健三郎が才能ある作家であること、これは疑いない。しかし、星野某は池澤夏樹と比較しても、教養と見識と言う点でお話にならない。  影響を受けたと称しているガルシア=マルケスを再読(初読)してはどうだろうか?

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三宅 芳夫 (@yoshiomiyake@fedibird.com)

 どうも、大江健三郎は「最後の小説」として、「サルトル」に回帰するつもりだったらしい。  渡辺一夫門下(F.ラブレーを中心とする16世紀専門)として大江の東大仏文科の卒論はサルトル論だった。その意味ではサルトルは始まり、サルトルに「戻った」とも言える。    ところで、この記事では阿部賢一とやらいう「専門家」が「早い段階でサルトルの政治的姿勢とは決別した」などとしゃらくさいことを言っている。勿論この男はサルトルの「政治的姿勢」も思想も「まるでわかっていない」ことは断言できる。  付け加えて言うと、大江自身も初期の小説の文体・表現に「露骨」にサルトルへの参照があるが、残念ながらサルトルの哲学・政治思想は理解していたとは言えない。  しかし、これは当然のことで、サルトルの哲学・政治を「理解」した人間は仏にも日本にも「いない」からだ。僅かにフーコー・デリダはかなり理解していたが、独創的な「後継者」たらんとして、意図的に「無視」した。  大江に関して言うと、ノーベル文学賞を貰った際、NHKでドゥルーズに言及しながら「これからはスピノザを読もうと思います」と述べていた。私は「どうせわからないから、やめればいいのに。やっぱり大江はミーハーだな」と感じた鮮明な記憶がある。

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昨年は #丸山眞男 をタイトル(サブタイトルではない)に冠した書籍が刊行されなかったので、毎年刊行の記録は途切れましたが、今年は出ましたね。評伝も刊行予定だそうで、それが今年になるのか来年になるのか、いずれにしても楽しみですね。
ちなみに #加藤周一 は丸山の #現代政治の思想と行動 のイタリア語版に序文を寄せてます。
#丸山眞男と加藤周一 #山辺春彦 #鷲巣力 #東京女子大学丸山眞男記念比較思想研究センター #立命館大学加藤周一現代思想研究センター #筑摩選書 #筑摩書房
#アカデミアサンリブ小倉店 #サンリブシティ小倉 #小倉南区 #北九州 #福岡 #ブックオカ

#加藤周一

荐书《读书术》

书中印象最深的真知灼见,在于为何要读经典而非其解读的那部分。加藤认为,从经典的文本中可以感受到作者的人格,而这恰恰是任何解读都难以再现的。比如,提出论点的方式,组织材料展开论述的方式,画龙点睛的议论、点评以及幽默感,都是无法转述的。
同理,古诗文的内容不能等同于其现代语译文,因为有些字词的意味一旦换个说法就消失殆尽。(小时对古文兴趣不大,就是没懂这一层)

#加藤周一《日本文学史序说(上下)》
在日本他被称为“21世纪知的巨人”。为什么推荐这位学者的书?

1、他能通过日本与中、西的文化进程的比较,客观把握日本文学、艺术乃至思想的特质。客观,即能一分为二地看待这些特质,不陷入日本文化独特论之流俗。
加藤本人精通英、法等外语,二战后的1951年就出版《抵抗的文学》,介绍法国在法西斯占领下的反抗文学。也就是说从一开始,他的思考就含有对日本的战争责任的清醒意识,以及对知识文化界未能正面抗争军国主义的反思。在此基础上的日本文学史论,自然不会染上时兴的唯日本至上的论调。

2、加藤本职是医生,同时博览群书,兼具自然科学者的严谨客观与人文社科学者的关怀与想象力。这样一个非典型的身份也给他看待文学史一个独特的视角,从精神构造把握文学史。在这一点上与另一位日本战后的大思想者丸山真男产生了深刻共鸣。