

real local 山形スナックかほりのワイン放浪 vol.2「ワインバー&キッチン 食堂メルカド」 – reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【地域情報】
あぁ、なぜこんなにもワインは美味しいのかしら。なぜこんなにも美味しいワインがこの山形に恵まれているのかしら。なぜワインが美味しく飲めるお店がこんなにもたくさんあるのかしら。そしてなぜワインに携わる人たちはこんなにも魅力的なのかしら……。そんな熱いため息ばかりが洩れてしまう素敵な山形ワインライフを、呟きのように綴っていきます。一度東京に出て、いろいろな地域に行って、Uターンして、山形の魅力がわかってきた今だからこそ、お伝えできそうな気がして。山形でのDEEPなワイン酒場といえばここ。オーナーの軽快なトークと心地よい音楽と雰囲気でワインが泡のようになくなる。さて、今回ご紹介するお店はこちら「ワインバー&キッチン食堂メルカド」さん。山形市七日町にあるこちらのお店は、ワイン好きのアダルトたちが足繁く通うお店。オーナーの正弘さんはもともと編集者。国内外のカルチャー、歴史、トレンドを誌面にしてきて、山形にUターン、そしてメルカドをOPEN。正弘さんのこだわりがたくさん詰まったお料理とワイン、そして音楽やディスプレイなど、お店の空間は訪れた人を虜にする。ウッドを基調とした店内。オープンキッチンのカウンターもあり、一人客も安心して来店できる。お店は完全ワンオペで正弘さんがお料理を作ってワインを提供してくれる。ワインはもちろんおまかせ。正弘さんがお料理に合うワインをセレクトしてくれる。1杯目は、ドイツのピノ・ブラン(という白ぶどう品種)。もちろんこの日もブラインドをしてみるものの、品種どころか国も当たらない(笑)。とりあえず、ブラインドは置いておいて、絶対に食べてほしいのが、こちらの「季節の前菜の盛り合わせ」。その時々の旬のものを山形の郷土料理からのイマジネーティブな一皿にしている。この日は、庄内浜の鯛、じゃがいものグラタン、ビーツのスープ、スパイシーりんごや茸のオーブン焼きなど、これだけで結構お腹が膨れるくらいのボリューム。どれを食べても美味しいから、あっち食べたりこっち食べたり、ワイン飲んだりで口の中は大忙し。ワインはすべてナチュラルワイン。正弘さんのお眼鏡にかなったワインがセラーには山ほどあってうっとり。正弘さんは、出張シェフや他の店舗でのイベントなどもしない。なぜか聞いてみると、この場ですごす時間を味わってほしいのだそう。色調の暖かさ、音楽、装飾、カトラリー、お皿・・・と、すべて正弘さんが一つ一つこだわって選んだもの。だから、メルカドを構成する一部だけ外へ持ち出しても、楽しくないしね…と笑う。このお店を訪れるからこそ、正弘さんのこだわりや作り手に対する畏敬の念が感じられるの。音楽も大好きな正弘さん。壁には選りすぐりのレコードがたくさん。アンティークな照明も雰囲気抜群。もともと編集者だったのに、なぜ料理人?って思う人も多いと思うけど、正弘さんにとっては、編集者も料理人もやっていることは一緒とのこと。インプットをどんなアウトプットに仕上げるか?その過程にあるアイデアや技術を磨きつづけることは、コンテンツの企画、制作とおなじ。ふだんから興味関心、探求の対象をあちこちに求めることが楽しみかなぁと笑う。そんな正弘さんの人生観や想いを聞いていると、ワインもどんどん進んでしまうから困っちゃう。この日はピンク色のトレーナーを着た正弘さん。落ち着いた声とキュートなお人柄に胸キュン。 メインディッシュは山形牛のしんしんという部位。フランスのカリニャンという黒ぶどうの赤ワイン。さてさて、この日のメインディッシュは、山形牛のグリル。こちらに合わせていただいたのが、フランスのカリニャンという品種の赤ワイン。飲みすぎて、グラスに注いだ写真撮るのを忘れちゃったわ(笑)。ここから、正弘さんの言葉遊びが始まる。このワインに合わせて〆で出てきたのが鯖パスタ。そして、こちらの鯖パスタに合わせて出してもらったのが、フランスの「サバニャン」という白ぶどう品種のワイン。「カリニャン→鯖パスタ→サバニャン」という言葉遊びをしながらのペアリング。このワインとお料理のくだりを聞きながら、カウンターで正弘さんとお話しするのが至福の時間。鯖パスタのオイリーな感じとサバニャンという品種の白ワインのふくよかな酸が絶妙。ワインの品種なんてわからなくても、そんな名前のぶどうがこの世の中にあるんだ、こんな味わいがするんだと、五感を使ってワインを楽しめるお店。正弘さんが世界各地に連れて行ってくれるような感覚。訪れるたびに、旬の食材を正弘さんのこだわりの方法で出してくれて、世界各地のワインが楽しめる。一度行けばファンになること間違いなしの正弘ワールド。是非一度といわず、二度、三度お試しあれ。今宵も正弘さんのお料理とワインを求めて、ワイン好きの大人たちが集う。■ワインバー&キッチン 食堂メルカドhttps://www.instagram.com/marchiyo/
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real local 山形スナックかほりのワイン放浪 vol.2「ワインバー&キッチン 食堂メルカド」 - reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【地域情報】 - WACOCA NEWS
あぁ、なぜこんなにもワインは美味しいのかしら。なぜこんなにも美味しいワインがこの山形に恵まれているのかしら。なぜワインが美味しく飲めるお店がこんなにもたくさんあるのかしら。そしてなぜワインに携わる人たちはこんなにも魅力的なのかしら……。そん...
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映画館でスポーツ体験!?「新スポーツ『テニピン』を楽しもう!~オリジナルラケット作り&ストラックアウト~」イベント開催 | NEWSCAST - WACOCA MEDIA
神戸市でシネマコンプレックス「OSシネマズ」を経営するオーエス株式会社(本社:大阪市北区、代表取締役:金谷伸雄)は、インドアテニススクールを全国に展開する業界大手のノアインドアステージ株式会社(本社:姫路市東山524、代表取締役社長:大西雅之)とコラボレーションし、オーエスが展開する「CINE
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real local 山形「ぼくのたいき君」 その1・たいき君にまた会いたくて~ の巻 - reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【地域情報】 - WACOCA NEWS
再会 再会は突然だった。あれはもう20年ほど昔になるだろうか。山形市の西部、須川に架かる橋を渡っていたときのこと。のんきに自転車に乗っていたわたしは、川っぺりに見慣れない白い生き物の存在を認めた。一瞬の緊張が走った。しかし、その様子を遠くか...
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real local 山形山形県天童市・移住者インタビュー/添うことで見つけた場所「たかだまラボ」菅生 鈴さん – reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【インタビュー】
#山形移住者インタビュー のシリーズ。雪が降った後の青空には、瀬戸内海では見たことのない眩い光がある——。約20年前、広島から山形県天童市に嫁いできた菅生鈴さんは、最初は方言にも雪にも戸惑いながらも、この地の豊かさに次第に魅了されていきました。浄土真宗のお寺の坊守として寺を守りながら、「たかだまラボ」を立ち上げ、地域の記憶と技を未来につなぐ活動を展開しています。コロナ禍をきっかけに始まった畑仕事から広がる人の縁は、今では「コウバ」と名付けた元布団屋を拠点に、90代のおじいさんから小学生まで世代を超えて紡がれています。「約束もしないのに集って遊ぶ、小学生のような交流」の中で見つけた天童での暮らしの魅力を伺いました。方言との格闘:「がんぎょうずさんだか?」瀬戸内海に浮かぶ能美島(現・江田島市)で生まれ育った菅生さん。地元の大学を卒業後、仏教や浄土真宗を学ぶため、京都の専門学校へ進学し僧侶の資格を取得しました。同級生だった現在の旦那様と結婚し、2003年、天童市高擶(たかだま)にある真宗大谷派龍池山願行寺へと嫁いできました。結婚と同時に始まった山形での生活。当初は言葉の壁に苦労したといいます。「電話に出ても相手の言葉が聞き取れなくて。『(なまりで)がんぎょうず(⤴)さんだか?』と電話がかかってくるんです。『はい、願行寺(⤵)です』と答えると、『がんぎょうず(⤴)さんじゃないんだか?』『いいえ、願行寺(⤵)です!』『ちがうんだか?』『いえ、ちがわないです!』って、コントみたいな会話になっちゃって(笑)」半年ほど電話対応から遠ざかったという菅生さん。その後も方言との格闘は続きましたが、徐々に「さすすせそ(さしすせそ)」の発音や「すんぶんし(新聞紙)」といった言葉の変換ができるようになりました。とはいえカルチャーショックが続いていた移住初期、転機となったのは山形県男女共同参画センターが主催する女性のためのキャリア形成講座「チェリア塾」との出会いでした。約一年間、月に一度、県内の各地から元気な女性たちが集まって学びました。その「チェリア塾」で得た人脈は、その後の活動の基礎となります。菅生さんの人柄が伝わるおもしろいエピソードがあります。「その頃はまだ今のようにはSNSが発達していなくて、ある集まりで出会った東京出身の女性が『あなた山形の人じゃないよね?』ってちょっと必死な感じで声をかけてこられたんです。『友達になってください』と言われて。彼女は天童よりもっと雪深い町に東京から移住して、やはりカルチャーショックを受けていたんです。私は関西系のノリで、なんとか彼女を笑わせたくて『えらいところに嫁いでしまったの会(略して“えらとづ”の会)』を思いつきました。面白おかしく「会の規則」まで作って、ちょっとでも笑い飛ばしてもらえたらと。まさかその後、彼女がチラシを作って公民館に配るとは思わなくて(笑)。すると、結婚や夫の仕事の関係で県外から来た方など、遠くから来た女性が次々と集まって」思いがけず「えらとづの会」は注目を集め、やがてNHKの取材も来ることになりました。参加者たちは最初こそ苦労話を共有していましたが、次第に「山形では遊園地に行っても並ばなくていい」「除雪車が面白くて子供と写真を撮っちゃう」など、移住先ならではの魅力も見つけていったといいます。笑いに変えることで、それぞれが新しい視点を得ていったのです。山形の食文化:「冬の挨拶は『味噌作った?』」移住当初、異郷の地で孤独を感じていた菅生さんを救ったのは、山形の豊かな食文化でした。「もともと、味噌づくりなどに興味があったのですが、山形は本当に食の手仕事が盛んで、冬の挨拶が『味噌作った?』みたいな感じで(笑)。JAで作ったり、女性会や子供の集まり、いろんなグループでみそをつくる会が冬にはあちこちで催される。原材料の大豆から育てている人も多いし、直接、生産者から豆を手に入れることができる。作物を育てる人、加工する人、消費する人がとても近くて、お互いに関わりながら、できあがったお味噌を分け合ったり。そんな循環があるのが、この地域の素晴らしさだと思います」お嫁さんとして家庭文化に入ることへの壁も、食が架け橋となってくれました。「最初に来た時、お姑さんの料理がすごく美味しくて、そこにウェルカム感を感じました。山形は食べ物がおいしいところ。たとえば、お米だと、広島の家族が来たときに『山形のお米をおかずに広島のお米が食べれる』と言うほど(笑)。東京から移住して来た友人も、親戚が山形に遊びに来たとき、旅館でご飯をおひつごとおかわりしたというエピソードがあって、『そうだよね、納得!』って」雪国の発見:静けさに浄化される心一方で、瀬戸内海の穏やかな気候で育った菅生さんにとって、山形の厳しい雪は大きな試練でした。しかし、その中にも新たな美しさを発見していきます。「雪は辛かったですね。でもね、雪が降った後、青空が見えるんですよね。そのときの青空の明るさと、雪に照り返した白の明るさの光の量って、瀬戸内海の光の量と別格に明るいんです。冬に曇った日が続くと気持ちが落ちることがあるけど、青空が出た瞬間の明るさの光量は、私が育った場所と比べ物にならないぐらい明るくて、そのギャップにいつも救われていました。あんな強烈な青空って他にないんじゃないかな。閉塞的な気持ちになっても、その瞬間に、今この光をもらえている感覚になるんです」雪がもたらす静けさも、菅生さんの心を捉えました。そして、その感覚は菅生さんだけのものではなかったようです。「雪の持つ静けさがすごく好きになりました。寒いのは辛いんですけど、雪の夜って吸音力がすごく高いんです。ただ静かなのではなくて、ものすごく静かなんですよね。現代の情報過多な生活リズムに疲れている心にとって、その静けさはすごく貴重な癒される体験です。徳島から移住してきた方も『雪の道を夜、月夜に照らされて歩いたときに、心が浄化されるような気がした』と話してくれて、すごく共感しました。『シャッシャッシャッ』って雪の中を歩く体験は、他の地域では味わえないものだと思います。その気持ちの、なにか磨かれるような感じは、この風土が持っているものなのかもしれません」約束なしで集う、小学生のような交流(写真提供:菅生さん)「コロナ禍で集まれなくなった時に、畑を始めたんですね。畑なら屋外で密にならないし。耕作放棄地になっていた場所を借りて、埋まってたビニールをはがすところから始めました。それが『たかだまラボ』のきっかけでした」最初のコアメンバーは、小学校の読み聞かせグループでたまたま気の合った3人のお母さんたち。その後、東京から移住して農業を始めた方など、様々な背景を持つ人たちが加わり、現在の登録メンバーは7名ほど。「たかだまラボ」の活動を通じて、菅生さんは地域とのつながり方が変わったと言います。「より『地元』になりました。ちょっと遠くで車で運転して会いに行ける友達というよりは、本当にこの周辺の、通りがかりに『あ〜!』って言える関係の人たち。用事で近所を回ったり、仕事帰りにちょっと寄ってみたら顔が見れる、約束も何もしないで。小学生の頃って約束もしないのに友達が集まって遊んでいたじゃないですか。そんな感覚に近いです。」空き地を借りて始めた畑作業には、周囲で畑をつくっている先輩方が自然と集まってきました。「ラボのメンバー2人で作業していた畑に、気づいたら周りの畑のばあちゃんたちも集まって来てて、小さな畑に6人もいる!!とか(笑)。『何植えてんだ?』とか、ああだこうだって喋って。苗を分けてもらったり、育て方も教えてもらって。気が付いたら帰るときは八百屋に行ったの?ってくらい野菜をもらってきた日もありました」(写真提供:菅生さん)コウバの記憶:古い道具が語りだす「たかだまラボ」の活動が広がる中、菅生さんたちは寺の駐車場の隣にあった取り壊し寸前の布団屋の建物を借り、活動拠点「コウバ」を設けました。水道も電気もガスもない素朴な空間ですが、それがかえって現代のせわしない時間から離れた、ゆったりとした場所となっています。「コウバでは、古い道具を飾っているんですけども、時々展示をして、そこを開けて見ていただくときに、みんなが『うちもある』って頼みもしないのに持ってきてくれるんです。『それはどうやって使う道具なの?』って聞いても『わからない』とかと言うこともあって、それをまた来た人に尋ねると『こうだべ』みたいな感じで教えてくれる」「コウバ」は単なる展示場ではなく、地域の人々が集まり、語り合う場所。それぞれの記憶や知恵が交差する場になっています。「四十歳前くらいの女性が『私、嫁に来るとき、親が布団持たせてくれたんだ。ここに来なければそんなことも思い出すことなかったな』と言ってくれたり。古いものを見て、普段は思い出しもしないようなことが甦って、“語り”になることって、私はとても大切なことだと感じています」菅生さんは地域の高齢者との関わりの中で、彼らの持つ豊かな知恵や経験に惹かれていきました。「こんなに素敵な感性や知恵をもっている人なのに、老人施設に通所して、パズルを解いているなんて、実はちょっともったいないって思います。本当に面白い人なんだけど、そこを聞く人がいないんです。年を取って、社会的に役に立つことは無くなっているように見えてもその人の持ってる歴史が面白い。」例えば、寺を訪れる方との何気ない会話からも、地域の歴史が浮かび上がってきます。「お寺のトタン屋根は以前は茅葺でした。あるおじいちゃんが、10代の頃に父親を手伝ってお寺の屋根を葺いたんだということを教えてくれて。『そのカヤはどこから運んだの?』と聞くと『山寺から運んだ』と。『一回どれぐらい必要なの?』と聞くと『これくらいの束にして運ぶんだ』とか、生き生きと教えてくれるんですよね」(写真提供:菅生さん)2024年には「コウバ」で『藁から暮らしを見つめる展』を開催。藁で作られた俵やわらじなどの道具を展示したところ、訪れた高齢者から時代の移り変わりについての貴重な話を聞くことができました。時代の変化と共に失われた技術や生業についての生きた記憶。「昔は冬の間に若いものが集まって、俵を編んで、ひと冬に100も200も編んだ。それが米袋に変わったときに冬の収入がなくなって出稼ぎに行く暮らしに変わっていった。また、同じころに米の品種改良が進んで稲の丈が短くなり、俵を編むにも適さなくなった。米を炊いたり調理する熱源も、炭や薪、籾殻から、ガスや石油に変わっていった。そういう時代の境目の話が聞けるんです」手仕事の魅力:縄ないから始まる知恵の継承「たかだまラボ」の活動の中で、菅生さんが特に印象に残っているのが、地域の人々から「縄ない」を学んだ体験です。「干し柿作りをしたときに、『本物の縄でやりたい』って新興住宅に住む若いママが言い出して。すると『藁ならあるよ』と稲刈りを手伝っていた方が車から藁を出してきてくれて、近所のおばあちゃんに『干し柿するのに縄をつくってみたいんだけど』と聞いたら、あっという間に縄をなってくれたんです。その方にとっても40年ぶりだったそうだけど、鮮やかな手つきでした」その場にいた菅生さんたちは大興奮でしたが、お年寄りにとっては当たり前の技術。「わざわざそこまでやったのか〜」という反応だったそうです。(写真提供:菅生さん)「子供の頃ってそうでしたよね。『これやろう』→『やった』、『砂遊びしよう』→『お城できた』みたいな。そういうすごくローカルな、小さなことが一番いいんじゃないかなって」最近では、93歳のおじいちゃんからほうき作りを教わりました。「地域のおじいちゃんに『ほうきキビを育てたいんだけど』と言ったら『今年はもう遅い、来年だな』って。93歳の人が来年の話をしてるんですよ!それくらい元気なお年寄りも多いです。その方は材料となる『きび』の種から育てていて、手入れをして、収穫して、この冬ほうきを100本作って配ったそうです」菅生さんは地域の子どもたちにもしめ縄などの伝統技術を伝える活動も始めています。「身の回りのものを使って自分で作るという『手触り』と『記憶』を子どもたちに残してあげたいなって思います」「添う」姿勢で見つける自分の場所菅生さんは活動の中で大切にしていることとして「時と場所との調和」という考え方をあげます。「やっぱり日々の生活の中で、『ここじゃないどこかへ行きたい』とか、『ここが自分のいるべき場所なんだろうか?』って思うこともあると思うんです。いいときはいい。でもよいと思えない状況が来ると身がその場にいることができないと感じられてくる。今いる場所が自分の居場所になることって、誰にとってもの課題だと思うんです」「『置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子著)』というベストセラーがあります。「私は結婚をきっかけに移住したので、天童市を目指してきたわけではないんです。縁あってきた場所が天童だった。でも、その本のメッセージにあるように、自分が置かれた状況に身を添わせて、咲くことができるのかなあ?と、問いかけながら時間を重ねてきた気がします。天童市に移住して約20年。自分が出合った天童が、誰にとってもの同じものではなくて、一般化することはできないけれど、どこで生きていても、他のどこでもないここ(今いる場所)に、すんなり身を置くことができたら、すてきなことだろうなと思ってきました」「東北全体、日本全体ですが、人口過疎と高齢化は避けられない課題です。そこへの危機感を持って、どういうふうにまちづくりやコミュニティづくりをしていくかを考えないといけません。そのために一番必要なのは、そこを自分の居場所として住民が生きれることなのかな?と思います。」最後に、移住を考える人々へのメッセージを尋ねると、菅生さんは浄土真宗の坊守としての深い視点で答えてくれました。「生まれたからには必ず死が来る。これは移住に限らず、皆この世に『移住』したようなものなんです。そこで出会っていくことの中に、探していかなければいけないし、出会っていかなければいけない。多分どこにいても自分一人ではできないことで、周りに添いながら、環境が与えてくれたものに添いながらも、自分にしかできないことを探していくことなのかなと思います」雪の静けさに心が浄化され、地域の語りに耳を傾け、古き良き技を若い世代へ伝える菅生さん。広島から天童へ、そして過去から未来へ。彼女の手の中で、移住という選択は単なる土地の移動を超え、人生という大きな旅路の豊かな一章となっています。取材・文:高村陽子(Strobelight) 写真:佐藤鈴華(Strobelight)
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real local 山形Yamagata Life Diary – Yukiwariso and Ishikawa Garden - WACOCA NEWS
After a few months of cold temperatures and snow shoveling, my thoughts start drifting to spring, when the snow will be ...
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real local 山形「ぼくのたいき君」 その6・蔵王のたいき君~の巻 – reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【地域情報】
つながる仲間 「ぼくのたいき君」も連載6回目。読者の方からの声が届けられるまでになりました。ありがたいことです。今回、連絡をくださったのは山形山岳会のメンバーのAさん、Kさん。べにばな国体には「山岳競技」という種目もあって、その開催のサポート役を担っていたのが山形山岳会のみなさんたちでした。そんな山岳会ご提供のたいき君はまずこちら。たいき君のぬいぐるみ たいき君のぬいぐるみです!かわいいです。なんとこのたび、半永久貸与してくださいました。ありがとうございます。たいき君がつなぐ縁に感謝です。 そして、山岳といえば、我がコレクションにも山登りするたいき君がいました。これらは木製ライターケースに鋳物のたいき君ペン立て、そして、競技関係者用ワッペンのセット。かつての同僚Eさんが譲ってくださったものです。山岳たいき君のかわいらしさが目を引きます 山岳競技のたいき君、険しい山を登る感じはちっともありません。登山というよりピクニック。ですが、実際の山岳競技は厳しいものだそうです。リュックを背負ったたいき君を見ていたら、山に行きたくなりますね。蔵王でたいき君さがし 4月になり、山形も出掛けやすい時期となりましたので、山形山岳会のご協力のもと、山形市からクルマでおよそ30分、世界に誇る蔵王へ行ってきました。「たいき君パズル」の地図で蔵王の位置を確認 さあ、クルマを停めて、上の台「蔵王スカイケーブル」の4人乗りゴンドラでドッコ沼まで登ります。料金は片道1,200円。ゴンドラ乗り場 ゴンドラを降りてちょっと歩けばドッコ沼です。案内の看板がまだ雪に埋まっています。ドッコ沼 ドッコ沼を過ぎると間もなく見えてくるのが三五郎小屋。その奥にあるのが、山形山岳会のベース基地となっている山小屋です。そこにたいき君がいるというのです。期待が高まります! 山岳会の小屋 小屋の入り口が雪で閉ざされていたので、ショベルで雪かきをして、いざ中に入ります。山の景色が楽しめる窓 山を愛する人の空間だあ!とワクワクして中を見渡します。窓の外は雪山です。窓の下のほうに目をやると・・・。山岳競技のステッカー たいき君のステッカーがありました。たいき君はベーシックなスタイルですが、山岳競技という文字があります。山形山岳会の活動をずっと見守ってきたたいき君ステッカー、これからもこの小屋を見守っていてもらいたいものです。残像 歴史のある山小屋です。山岳競技のたいき君ステッカーだけでは終わりませんでした。窓の反対側の梁を見てごらん、と同行してくれたAさんが言います。はて?と思ってそちら側を見てみました。小屋の玄関側、梁部分に注目 この山小屋の設立者であり山形山岳会の会長であった後藤幹次さんの愛用のリュックを収めたフレームが飾られています。その下の梁の部分に、日焼けしていない何かの模様があるのです。よーく見ると・・・山岳競技たいき君のカタチです!(冒頭の山岳競技たいき君を参照のこと)たいき君がいた跡 あったはずのものがないときに登場する漫画の点々が見えるような気がしました。山岳たいき君は確かにここにいたんだ。今は残像だけが見える。わたしはちょっと泣きました。聞けば、数年前に剥がされてしまったのだそう。うーん、残念。しかし、それもまた歴史。たいき君のかつての姿を示す日焼けした梁をしばらく見つめていたら「運び出された荷物のあとは畳の色がそこだけ若いわ」というキャンディーズの歌う「微笑がえし」が脳内で鳴り出しました・・・。そして、蔵王から戻ってくると、下界は春でした。 小屋を見せてくださった山形山岳会のみなさま、ありがとうございました。 それでは、また次回。
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つながる仲間 「ぼくのたいき君」も連載6回目。読者の方からの声が届けられるまでになりました。ありがたいことです。今回、連絡をくださったのは山形山岳会のメンバーのAさん、Kさん。べにばな国体には「山岳競技」という種目もあって、その開催のサポー...
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real local 山形Yamagata Life Diary – Yukiwariso and Ishikawa Garden
After a few months of cold temperatures and snow shoveling, my thoughts start drifting to spring, when the snow will be gone and my spring garden will start to wake up. I look forward to crocuses and snowdrops and other spring bulbs, but in my garden, the most enchanting harbingers of spring are the infinitely varied yukiwariso, literally “flower that breaks through the snow.” I had never heard of yukiwariso, or Hepatica nobilis var. japonica, before coming to Yamagata – which is actually not surprising, since they are native to the Niigata region, particularly Sado Island, and are
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山形【山形県村山市】/ローカルブライト・高野拓也さん「仕事の生まれかたに新たな可能性を感じる」 – reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【インタビュー】
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real local 山形【山形県村山市】/ローカルブライト・高野拓也さん「仕事の生まれかたに新たな可能性を感じる」 – reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【インタビュー】
村山市を拠点とするデザイン会社、ローカルブライトをreal localで紹介したのは2022年3月のこと。CEO鈴木祐一郎さんとCOO五十嵐勇人さんに、会社設立に至る物語やその先のビジョンについてお話しをいただいた。それから2年あまりが経過した現在、同社は事業をますます拡大しつつもあり、また「村山市にぎわい創造活性化施設Link MURAYAMA」にオフィスを移転するなどの変化もあり、さらには全国各地から多様な人材を吸い寄せているらしいとも聞こえてきた。そこで今回は、Uターンして同社に参画した移住者でもあり、また取締役CDO(最高デザイン責任者)でアートディレクターでもあり……、という高野拓也さんにreal localにご登場をいただく。デザイナーとして東京の広告会社で活躍されていた高野さんは、一体なぜローカルブライトに合流し、移住することを決意したのか。ここで働くことにどんな可能性を見出しているのか。この高野さんのお話はきっと、これからクリエイターとして働きたいという若い方たちが、じぶんはこれからどんな環境でどんなふうに働きたいのかを考えるきっかけを与えてくれるにちがいない。高野拓也さん。ローカルブライトのオフィスがある村山市にぎわい創造活性化施設Link MURAYAMAの気持ちのいいグランドにて。リアルな人間関係や信頼関係からデザインの仕事がぐんぐん広がる面白さ東北芸術工科大学卒業以来、ずっと東京の広告会社でグラフィックデザイナーをしていた高野さんに、高校の同級生だったCOOの五十嵐さんから連絡があったのは4年ほど前。それが、ローカルブライトとの接点となった。ふるさと納税支援事業を展開する同社にとって、成果をもたらすWebサイトのデザインは生命線であるため、「誰かいいデザイナーを紹介してもらえないか」というのがその内容だった。そんなきっかけから、高野さんは同社のデザイン部門のチームアップについて、週末などにときどき、東京に居ながらリモートで、相談に乗るようになる。思いもよらずそれは新鮮で面白いできごとだった。「デザイナーとして新卒で入社してからずっと、いつか独立したいと思いつつ、なかなか糸口を掴めずにいました。独立すればゼロからクライアントを見つけなくてはならないし、初めのうちは納品したらまた営業して、の繰り返しになる。自分がそれをやって軌道に乗せられるイメージが湧かず、すごくモヤモヤしていました。でも、ローカルブライトのデザインチームの立ち上げに関わるうちに、自分が思い描いていた独立のカタチとちがってはいるけど、『これもアリかも』『想像していたより大きな世界を見れそう』と思えてきて、視界がパッとひらけたんです」遠い場所からアドバイスを送る相談役のような立ち位置での歳月をしばらく経たあとで、高野さんが東京の会社を辞め、ローカルブライトについにリアルに合流したのは2023年3月のことだった。いったい、東京を離れて村山市にまでやって来た高野さんが「これもアリかも」と感じた可能性や「大きな世界を見れそう」と感じたものの正体とは、なんだったのだろう。「それまでイメージしてきた地方でのデザインの仕事というのは、営業して、コンペに参加して、制作して、納品して、というサイクルの案件を一つひとつ積み重ねるというものでした。でもローカルブライトは、『ふるさと納税支援』という主軸の事業のなかにデザインが組み込まれているので、大きな流れのなかでのびのびとデザインに取り組むことができます。また、ふるさと納税の仕事を通して地域のさまざまな事業者さんたちとのリアルな関わりができ、そのつながりから『うちのWebサイトつくってくれない?』『新商品のパッケージやってくれない?』と新しい仕事がどんどん生まれてくる。事業者さんとのそうした関係性、距離感、そこから仕事が生まれるスピード感というのは、私が東京でやってきたデザインの中ではなかなかありえなかったし、このまちだからこそ感じられるものでしょう。ここでのこの仕事の生まれかたはスゴイな……って思います」スキルや職能よりも大切なのは「心をデザインする」マインドの共有高野さんだけではない。全国各地からさまざまな職能をもつ幅広い人材がローカルブライトに集いはじめている。HR/人事総務担当の松山珠希さんによると、ローカルブライトのスタッフのうち、地元採用9名に対して、U・I・Jターンしてきた移住者は12名にものぼるという。また、前職の業界は飲料メーカーや教育、旅館、ITコンサル、旅行代理店などなど多岐にわたっており、いろいろな経験を有する多様な人たちが転職してきているのだそうだ。高野さんの横で話を聞かせてくれた、HR/人事総務担当の松山さん(右)。自身も、「形式ばったルールに縛られるような働き方ではなく、成果をしっかり出せればある程度自由にのびのび働ける。それがすごく良いと思いました」と、まったく別の業界からローカルブライトにやってきた転職組のひとりだ。ローカルブライトのWebサイトの採用ページには、地域創生ディレクター、デザイナー、エンジニア、プロデューサーなど、さまざまなポジションの募集情報が掲載されている。高野さんは言う。「募集している職種はいろいろですが、ローカルブライトとして求める人材のポイントはシンプルで、『心をデザインする』ことができる人かどうかということです。この言葉は会社のフィロソフィーを表すもので、『相手に良い影響を与えられるか』とか『相手の心を思いやることができるか』とかいったような意味を込めています。僕らがやっている『デザイン』って、見た目をキレイにするトッピングみたいなものと勘違いされることもありますが、そうではありません。依頼主がなにを求めているのか、依頼主の先にいるお客様がどんなことを望んでいるのか、という思考がなければできないものです。つまり、相手のことをわかろうとする人でなければデザインはできないし、仕事になりません。ですから、このフィロソフィーを共有できる方に仲間になってほしいと思っているんです」個性的なメンバー揃いのローカルブライトスタッフのみなさん。 オフィス内にある、商品撮影スタジオ。「ローカルブライトのデザイナーは、なんでもやります。カメラを持って写真も撮りますし、インタビューに行ったり、記事を書いたり、ということも」と高野さん(左)。東京を諦めて仕方なく居る場所ではなく面白いからそこを選んだという場所へ最後に、高野さんに、この村山市というまちに働くことの意義や面白さについて、お聞きした。「村山市のふるさと納税の寄附金は、ローカルブライトが支援事業者となってから約5倍にも伸びました。まちの税収が上がれば、市民の皆さんの生活の質が上がったり、活用されるサービスが向上したりしますから、そうやって目の前でまちが盛り上がっていくのを見れば、自分たちのモチベーションも上がります。寄附金が増えたのは、良い返礼品がたくさん集まったからでしょうが、返礼品を出してくださる事業者の方たちとリアルに出会うことができたことは、僕たちにとってはとても大切なことでした。例えばこのLink MURAYAMAでも、さまざまな事業者さんたちとのリアルな出会いがあったからご協力頂けたことがたくさんあります。いい情報であればすぐに広めてもらえたり、いいことがあれば一緒に盛り上がろうと団結してくださったりと、村山市にいる事業者さんたちの横のつながりや結束力の強さが良い結果に結びついたように感じています」「僕らも、『田舎にもこんなに面白い会社があるんだ!』ということを広く知っていただけるように、僕ら自身のことをもっともっと発信していきたいですね。大学卒業後に東京に出て行った自分が言うのもなんですが、大学を出ても、デザインの仕事をするためにまちに残る、という選択肢がもっとあってもいいはず。10年前にデザイン業界での就職を目指していた自分にとって、デザインの仕事は東京にしかない、という感じでしたが、でもこれからは『ローカルブライトがあるからここに残る!』とか、『東京よりこっちの方が面白いからここで仕事したい!』って思ってもらえるようにしていけたら、と思っています」 Photo: Fuse Kaho(strobelight)Text: Nasu Minoru(real local Yamagata)
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