「名古屋大学人文学フォーラム」2021年3月号掲載
劉 罡「満洲引揚者の戦争体験の語られ方 : 黒川開拓団女性の英雄物語の構築を中心に」
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/records/2001036
《これまで見てきた新聞記事や碑文内容、当事者女性の言葉、遺族会側の言葉からわかるのは、戦争体験を語る言葉の採用には差異が存在するにもかかわらず、共通しているのは「乙女」という言葉の使われ方である。能動的に開拓団を守ったとするのか、あるいは受動的に男性団員にって差し出されたとするのかを問わず、ソ連軍を相手したのは「乙女」たちのみだったと規定されている。「乙女」という言葉はある種の記号として普遍性を持っているようであり、再生産され、消費されている。しかし、彼女らがソ連軍の相手をさせられる前には、関東軍が連れてきた「従軍慰安婦」がまずソ連軍の相手をさせられていたという。(…)》
引用つづき
《「開拓団のために犠牲となった女性を顕彰する」という理由で慰霊碑を建立し、碑文を刻んだのであれば、「従軍慰安婦」も顕彰の対象となるはずである。しかし、現在でも上記の「従軍慰安婦」の存在は黒川開拓団、地域社会、日本社会において注目されていない。メディアにおいて広く流布している「性の接待」、「性暴力被害者」であれ、地域社会における英雄物語の構築で使用されている「接待」、「挺身」であれ、これらの言葉による規定範囲は黒川開拓団出身の 15 名の「乙女」のみとされている。前述した「従軍慰安婦」の語られ方はその範囲以外にある。換言すれば「従軍慰安婦」の戦争体験を言語化する社会的文脈は未だ作られていないのである。》
山本めゆ「引揚げの記憶/報道/研究における「娼婦」の他者化ー黒川開拓団・遺族会の経験を通じてー」(日本史研究734号,2023年10月)を読んだ。(国立国会図書館の遠隔複写サービス使用)
平井和子『占領下の女性たち』(岩波書店,2023)での問題提起を引き受け、それを黒川開拓団の経験から考察しようとしている。
《平井の前掲書が指摘したのは、彼らが団の娘以外の女性を頼った場面があったこと、なにより二次資料からでも知り得たはずの出来事を記者や研究者が軽視してきたことで、これは引揚げと性暴力被害に関心を持ってきた筆者も思わず息を呑むほど正鵠を射た指摘だった》
山本は『性暴力被害を聴く 「慰安婦」から現代の性搾取へ』(岩波書店,2020)の第8章「阻まれた声を通して性暴力を再考するー黒川遺族会の実践からー」筆者。この本持ってるじゃん、と「黒川の女たち」鑑賞後に気づいたのでした(序章だけ読んで積読してた)。
ちょっと話がそれるが、「黒川の女たち」で、隣の開拓団が集団自決をした、それが団の危機感を強めた、というエピソードが出てくるが、これを読んでそれが熊本県鹿本郡(かもとぐん)来民町(くたみまち)の来民開拓団であることを知った。
そしてこの開拓団は、被差別部落の住民を中心に組織された、「日本史上唯一の、国策によって行われた部落出身者中心の海外移住」であるんだと。(日本語版Wikipediaにより)
ちょっとこのWikipedia記事読むだけで胸が苦しい。
NHKアーカイブスで「黒川の女たち」でも中心となって出演している佐藤ハルエさんの証言が読める。まだ文字起こし部分しか読んでないけど、来民開拓団の名も出ている。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001130365_00000
対馬丸関連の本もいま手元に来ていて、こっちは母が先に読み進めているんですけど、ここでも「軍人のための“慰安婦”」の存在がつらっと出てくる箇所を教えてもらった。
《ちょうど同じころ、船尾の一般疎開者も、おなじように甲板にはい出て海風にあたっていたが、船尾の一段あがった砲座のある甲板(船尾楼)にーーそこはふつう、兵隊のほかには出入りを禁じられている場所だがーーこのとき数人の女たちが、兵隊たちと肩をくんでふざけながら、やはり少女たちとおなじく、「さらば沖縄よ……」をうたっていた。彼女らは娼婦であった。本来なら戦力の一部(引用者註:傍点あり)として、沖縄からの出域を禁じられているはずなのをうまくのがれてきて、その喜びまじりに兵隊とふざけながら、少女たちとおなじく故郷に歌をおくっていた。》大城立裕『対馬丸』(理論社,2005年)113-114頁
本書は1961年に『悪石島』の名で刊行され(文林書房)、1975年に再刊(おりじん書房)、さらに1982年に『対馬丸』として理論社で刊行(その際全面的に改稿)されたものの、2005年の再刊。あとがきは1982年版のものが付されている。
これらの記述に思うことを、山本めゆ「引揚げの記憶~」から引くと、
《(…)日本軍や占領軍対象の「慰安婦」制度と「接待」に共通するのは、兵士には性的な充足が必要であり、そうしなければより大きな悲劇を招来するという信念である。》ってやつ。《(…)底流にある男性性の神話を問いつづける必要がある》のだと、ほんとにそう思う。