ちょっと前の「イスラエル軍に使われ無さそうな思想」でレヴィナスを書いたけど、その後彼が、「ヴェイユの旧約聖書(ユダヤ教)批判」を物凄く辛辣な感じで批判しているのを読んだ。
キリスト教の博愛主義が西欧のユダヤ人をどうしてきたのか。厳格な罰を与える事が義しさにもなる、「聖絶」という怖い言葉・・・。
レヴィナスは伝統的で、模範的なユダヤ教徒なのだろうけど、現在でもイスラエル側になるかもしれないと思わせる勢いさえあった。
ただ、顔や他者といった言葉が今この時のためにないんだったら、それこそキリスト教の博愛主義以上に偽善なのではないだろうか。

ヴェイユは43年に亡くなっているがパレスチナについて既に書いていたようだ。

この文章とアンソロジー「シモーヌ・ヴェイユ」は素晴らしい感覚があり、引き続き読んでまた書きたい。

ユダヤ教の死者や幽霊の概念について気になっていたのだけど、レヴィナスがヴェイユに対して「もちろん、それが才能ある聖女であっても、死者と議論するのは馬鹿げたことであり」と言っていた。
私にはこの感覚はわからなかった。(かなり辛辣だったので、それを弁解する意味なのかもだけど)
だってアリストテレスとかでもそうでは?