日本には珍しい #キリスト教 徒である話はもういろんなところでしているからいいとして、さて、昨夕、とある教会の夕礼拝に参列したのだけど、若い牧師の説教が衝撃的だった。

#聖書 箇所は #旧約聖書 の列王記上19:1-8と #新約聖書 のマタイ6:11。この2箇所には「食事」という共通の要素があるのだけど、旧約のほうは、高名な預言者 #エリヤ が敵である異教の指導者たちとの対決に勝利して正義が実現したにもかかわらず、賞賛ではなくむしろ憎悪を浴びる結果となり命を狙われるようになった。そしてエリヤは #うつ状態 に陥り、自ら死を望むようになった。そのエリヤを力付けるために主なる神様が与えたのは食事だった。

そして牧師は、前任地の、信徒が一桁しかいないようなある地方の教会での自身の #うつ体験 をもとに話を続ける。そのときは、主任牧師から「珍しく」食事に招かれ、手料理を振る舞ってもらったらしい。そして、主任牧師は『死ぬ気で聖書を読んで祈り、死ぬ気で説教に打ち込みなさい』とアドバイスしたらしい。

#新約聖書 #旧約聖書
偶然にも、「新しい翻訳」 という当て字をしてしまったことが幸いだった。
私は幼少期から新約聖書が旧約聖書の新しい解釈本と(漢字から)思っていた。
(教会の洗脳では、新しい契約。)

何故?
モーセ に率いられた人々(庶民)は海の中を動いたのか?
王族の Jesus が水面に立ったのか?

理由。
映画 は、海が裂けて道ができますが、
原文は、
walk ではなくて move の単語。
王族の Jesus は、ユダ族の庶民の子孫の弟子たちを舟に残して、水面に立ちました。

(考えなさい。)
王族は水面の上。
庶民は舟の中。
小さな舟の中にいた Jesus の弟子は海中です。

i.e.

「船で紅海を渡った」
高貴な人々の船室は水面の上ですが、庶民の船室は水中でした。
(木造の帆船は、木と木の間から、海の水が落ちてきます。つまり海中。)

メノーラー が、Jesus Fish となり、
それが、ローマ教皇 の杖 になりました。