というのは、歴史学における「一次資料/史料」「二次資料/史料」の話であって、ほかの分野ならまた違う「一次資料」「二次資料」の区別がある、はず。
以上は「素人が賢しらに専門用語を使うな」という話ではなく、他人の口を封じるために迂闊によく知らないことばを使おうとすると、かえって底の浅さが露呈するよ、という話。自分のことばで語るのがだいじ。
たとえば、ある合戦を描いた軍記物があったとして、少し下った時期の成立や作者も判明しているとしたら、その作者が体験していない合戦を記した史料としては、非当事者の作成物なので「二次資料/史料」に当たるが、軍記物が成立した時期の社会の習慣や心性を示す史料としては、その社会を生きた当事者の著作物なので「一次資料/史料」に当たる。同じ軍記物でも、使いかたによって一次史料にも二次史料にもなる。
では、その合戦に参加した武士が記した戦功の報告書があったとしたら、それはもちろん当事者が書いたものなので合戦に関する「一次資料/史料」に該当するが、かといって自分の戦功を大きく見せようとするなど誇張や曲筆があるかもしれないので慎重に読み解かないといけない(=史料批判)。一次史料にあるからなんでもかんでも信用していい、というわけでは決してない。
「一次資料」「二次資料」という言葉は、分野によっても状況によっても意味するものがまったく変わってくるので、その留保や説明なしにこの言葉を使っている時点で、傾聴に値する話ではない。歴史修正主義界隈では、特定の歴史事象に関する“確かな証拠”ぐらいの意味で「一次資料」とよく聞くが。
本田圭佑の「一次資料などを詳しく調べた」って言い方、ネトウヨ構文そのままじゃんと思った。
近代のできごとだからまだ、部分的に一次資料を見て理解できるかもしれないけど、それだって専門家の背景を知らないと理解しにくいし、保存状態がいいとも限らないし、大量の文書を読むのも大変だし、古文書だったら読めないから信じないわけ…?
極右(というより歴史改ざん主義者?)の『一次資料』という言葉、正直、何を意味するのか分からない。
ニコラス・ツェーがエヴァの、というかアスカのTシャツを着ている…?
三田武繁氏「「最後の事件」に関する一史料―広峯長祐注進状小考―」(『東海大学紀要文学部』115、2025.3)、『鎌倉遺文』11890号の「文永(年脱)」8月20日付「広峯長祐注進状写」について、その差出長祐と充所南条頼員の比定を論証しつつ、本文書が文永3年(1266)の将軍宗尊親王の京都送還に関するものであると位置づける。本文書が正文を多く有する広峯神社文書ではなく、偽文書も載せる「広峯氏系図」に載せられた写を典拠とすることにも触れて、そうした情報が捨象されてしまう『鎌倉遺文』の危うさも説く。最近『鎌倉遺文』の典拠について報告した私にとってもホットな話題。
映画批評アプリ見てたら、「パチンコしながら観てたからあまり印象がない」という感想があって⁉️⁉️⁉️ってなったんだけど、ヤフー知恵袋に「最近、スマホで動画を見ながらスロットを打っている人を見かけますが、あれは、どちらがメインなのでしょうか?」という質問を見つけてしまった。やっぱ気になるよな。パチンコしないから知らないけど、「最近はよく見かけるようになった」という去年の記事もあった。
https://news.careerconnection.jp/entame/196819/
【疑問】最近のパチンコファンは、なぜ打ちながらスマホでパチンコ動画を見ているのか | キャリコネニュース
画像はイメージ 自分は、同時に2つのことができない。複数のタスクを一緒に進行するのって、難しくね? マルチタス
キャリコネニュース夏になると思い出すことがある。
M1のとき、新潟県胎内市で開催される中世史サマーセミナーに向かう前に、新発田に寄っていたところ、街中で高齢の男性に話しかけられた。午前中からよそ者っぽい若者がぶらぶらしているのが珍しかったのだろう。新発田城を見に来たと言ったら、城下町の町割りなどをいろいろと教えてくれたが、そのうちに歴史の話が男性の戦争体験の話になった。その人は兵隊として国内に配属されて広島の山向こうにいたところ、広島が大変なことになったと聞いて、同僚と向かったらしい。峠道にさしかかると向こうから被爆した人たちが次々と逃げてきて、水筒の水を差し出したりしたが、およそ助かりそうにない人も多く、いまなおそのときの自分の無力さに苛まれる、と涙ながらに話してくれた。
歴史が好きな若者と知って、思わず話し出して止まらなくなったのだろう。旅先で知らないじいさんに話しかけられて泣き出される、という稀有な経験ではあるが、それ以上に、戦争体験、原爆体験の普遍性といつまでも個人を苦しめる残虐さを強く感じた。戦争の経験が当事者から共有される日常がこの社会にも存在したときから、まだ20年も経っていない。