“二〇〇九年には民主党への政権交代が起こり、自民党政権下では政策の優先順位が低かった貧困対策が厚生労働行政におけるメインの課題として取り上げられるようになりました。

 鳩山政権で厚生労働大臣に就任した長妻昭さんが立ち上げた「ナショナルミニマム研究会」には研究者や反貧困運動に取り組む活動家も委員として名を連ね、社会全体の底上げをどう進めていくかという課題が国政の場で初めてオープンな形で議論されました。しかし、翌年に長妻さんが大臣を退任すると、研究会は無期限休止状態に陥りました。厚労省が毎年発行している「厚生労働白書」でも、二〇一〇年度版までは「ナショナルミニマムの構築」という項目が設けられていましたが、二〇一一年度版からはこの項目が丸ごと削除されてしまいました。”

【稲葉剛さんに聞く】反貧困運動の歴史と課題――1990年代の野宿者運動から振り返る
月刊『地平』編集部
2026/03/06
https://chihei.net/?p=7143

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 “若年層の貧困問題は二〇〇六年頃から「ワーキングプア」問題としてマスメディアでも取り上げられるようになりますが、まさにその時期、竹中平蔵さんが新聞のインタビューで「社会的に解決しないといけない問題としての貧困は存在しない」という発言をおこないました。”

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 “しかし、二〇一二年には芸能人の親族が生活保護を受給していたという報道に端を発した生活保護バッシングが吹き荒れました。バッシングを主導したのは、自民党の片山さつき議員や世耕弘成議員です。片山氏は「生活保護を受けることを恥と思わなくなったことが問題」と主張。当時は高市早苗議員も「さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のふりをして少しでも得をしようとか、そんな国民ばかりになったら日本国は滅びてしまいます」と発言する等、右派の政治家が競うようにバッシングを煽りました。 

 「生活保護費一割カット」を政権公約に掲げた自民党は、二〇一二年一二月の衆議院選挙で大勝。第二次安倍政権は発足直後の二〇一三年一月に過去最大の生活保護基準引き下げを強行決定しました。

 この時の削減で、生活保護費のうち食費などの生活費にあたる「生活扶助」の基準額が三年の間に平均6・5%、最大10%、総額は六七〇億円も削減されました。”

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 “政治が世論を誘導するということが、特に二〇一〇年代以降、顕著になっています。二〇一二年の生活保護バッシングの時に先頭に立った片山さつき氏は、一九八〇年代、レーガン政権時代のアメリカの福祉バッシングを参考にしたのだと思います。当時、アメリカでは、子どもがたくさんいる黒人の女性が、政府の社会福祉制度を悪用して多額の福祉給付金を受け取っているといういわゆる「ウェルフェア・クイーン」と呼ばれたイメージがニュースやバラエティ番組で再三取り上げられ、それが母子への手当削減の流れにつながりました。片山さんは「正直者が馬鹿を見る」というような言い方もしていましたが、その言説の原型もアメリカでの福祉バッシングにあったんだろうと思います。”

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