#パレスチナアマル 代表の北村記世実さんのトークの概要と感想。
第一部のトークでは、北村さんのガザへ行くきっかけとなったこと、幾度のイスラエル侵攻によって、変わり果てたガザを見て感じたこと、パレスチナのデザイナーRozanさんとの出会い、そして国連機関のUNRWAによる、難民救済プロジェクトである「Sulafa」の話と展開。
北村さんが1999年に、NGO勤務の友人の誘いで初めて訪れた、当時のガザは、現在よりかなり平和だった。食料も豊富にあり、パーティーを開いて、人をもてなす余裕があった。
しかし、2000年のイスラエル・シャロン氏(当時まだ首相ではない)の挑発による「第二次インティファーダ」以降、ガザの様子が、戦火と瓦礫の街へと一変した。
戦火が沈静化したあとも、北村さんは幾度か訪問。
UNRWAによる難民救済プロジェクト「Sulafa」で行われている、パレスチナ難民(戦争で配偶者を亡くしたシングルマザーが多い)の生活自立のために行っているパレスチナ刺繍と出会い、パレスチナ刺繍の日本での販売権の交渉をUNRWAと行い、成功した。
日本とパレスチナとの起業交流のイベントで、パレスチナのデザイナーのRozanさんと出会った。
そして、昨年10月7日以降の #イスラエル によるガザ侵攻とジェノサイドが起こった。
Rozanさんは侵攻当時、チュニジアへ出張して無事だったが、Rozanさんの会社の社員何人かが犠牲になった。社員は難民キャンプで、戦火をくぐり抜けながら仕事をしているという。Rozanさんはエジプトに滞在し、パレスチナへ戻れていない。
「Sulafa」のパレスチナ刺繍を作る女性たちも、従事者300人のうち50人が安否不明とのこと。
女性たちは、戦火のさなかでも、刺繍づくりを続けているという。
ジェノサイドの恐怖と背中合わせの中、仕事や刺繍づくりをしているガザの人々のたくましさを感じながらも、上下水道が破壊され、不衛生な状況でガザの人々は、イスラエルから銃口を向けられながら生活している実態に、道理なき戦争に怒りを感じた。


