最近の手帳を書いたり撮ったりしてないのでトラベラーズノートなどを。
美術展用にしてる地中美術館のトラベラーズノート。めんどくさくなって続かなくなるのが一番嫌なので中身はただ単に券を張って日付捺すだけって決めていて、たまにチラシなどを切って貼ったり気に入った絵についてメモしたり感想書いたり。

#TNR #トラベラーズノート #美術館 #阪神淡路大震災30年 #兵庫県立美術館

私は子どもの頃強く念じて熱を出して体調悪くすることができたんだけど、前日に部活で「明日1人弾き(班長の前で1人ずつ弾く)な」って言われて「1人弾きはまだ無理!明日は休みたい!熱出て休みたい!」って念じて熱を出してぐったりしながら早朝に台所で水を飲んでまた寝た。その1時間後くらいに大地震が来たんだけど、1時間遅かったら台所で被災してたんだと思うとゾッとする。だってカレーの鍋が台所中跳ね回ってカレーまみれだったの。

あと私はただ1日休みたかっただけで何週間も学校が休みになって欲しいとは思ってなかった。高校の体育館は避難所に、弦楽部の棟は遺体安置所になった。
#阪神淡路大震災30年

震災を扱ったフィクションでは「その街のこども」がとてもリアルで良かった。観光地的でない神戸の映され方。
逆にどうしてそうなった…なのが「Memories Corner」。孤独死=孤独の状態で亡くなること、ではなく「孤独に耐えきれず弱って死んでしまう」という解釈のされ方だった。
#阪神淡路大震災30年
311の時はポポポポーンだったけど117の時もACしか流れなくなって「この水、飲んだらいかんよー。ポンポン壊すよってに」(全壊地域とかでその辺に露出してる水道の水を安易に飲んだらダメだよっていう啓発)とかが流れてて、学校でボランティアやってる時に先輩が「“よってに”とか言わんよな笑。どこの方言なん」って言ってた。ほんとに。兵庫県のどこかでは言うんだろうか。ポンポン壊すよってに。 #阪神淡路大震災30年
ケータイどころかインターネッツもなかったので、テレビでは死亡が確認された被災者の名前がテロップでずっと流れていて、それをぼんやり見ていた記憶がある。だいたいは全く知らない人の名前で、時々同級生のお母さんの名前が流れてきたりした。 #阪神淡路大震災30年