中嶋聡氏のエール届いた?「こういう時もありますので…」オリックス押し出し死球で連敗脱出! nikkansports.com中嶋聡氏のエール届いた?「こういう時もありますので…」オリックス押し出し死球で連敗脱出!(日刊スポーツ) Yahoo!ニュース中嶋聡前監督、「サンモニ」初出演で3連敗オリックスにエール「こういう時もあります…チャンスある」 スポーツ報知中嶋聡氏「4番にそこまでの重責はない」日本の「4番論」に私見 巨人キャベッジの打順に好印象 nikkansports.com中嶋聡前監督が5月苦戦のオリックスへエール「今ちょっと悪いんですけど、いい時は必ず来る」 スポニチ Sponichi Annex
今シーズンのチーム盗塁数が12球団トップ(5月14日時点)と、足を使った攻撃が光る東北楽天ゴールデンイーグルス。2020年シーズン以来2度目の指揮を執り、独自色を打ち出しているのが三木肇監督だ。現役時代は守備や代走のスペシャリストだった“職人”の歩みと、目指す指揮官像についてNumberWebのインタビューに語った。〈全2回の前編/後編も公開中です〉 プロの門をくぐったのは1995年秋のドラフト。この年、日本シリーズを制した野村克也監督の目に留まった内野手として、ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団した。時は野村ヤクルトの黄金期。上宮高時代に守っていたショートの定位置には池山隆寛が座り、さらに1年先に入団していた宮本慎也も控えていた。 「経験と技術がある選手ばかりで、高卒の僕が戦えるレベルではなかった。それはもう最初に一緒にプレーした時点で凄い世界に入ったな、と感じました。ただ、当時の先輩方は本当に優しかったんですよ。2年目のキャンプは池山さんと同部屋になって凄く面倒を見てもらいましたし、古田(敦也)さん、真中(満)さん、宮本さん、稲葉(篤紀)さん、……いい先輩たちが野球のこともそれ以外のことも色々と教えてくれました」 キャンプではクタクタに疲れ果てた練習後に野村監督恒例のミーティングが始まる。若き高卒内野手は、ひたすらメモをとって頭を鍛えた。そのノートは監督になった今となっても折に触れては何度も読み返すのだという。 「ホワイトボードに野村監督が自分で字を書いて、それを僕らが書き写して勉強していく。例えば12通りのカウントの中でバッテリー間の心理とバッターの心理があって、駆け引きや戦術が変わってくる。技術的なことだけでなく、人生論や監督が使っていた難しい言葉なんかも、19、20歳の時と、48歳になる今とでは感じるものが全く違うんですよね。時がたってさらに野村監督のミーティングは自分の中に生かされていると感じます」
今シーズンのチーム盗塁数が12球団トップ、盗塁成功率94.6%(5月14日時点)と、足を使った攻撃が光る東北楽天ゴールデンイーグルス。2020年シーズン以来2度目の指揮を執り、独自色を打ち出しているのが三木肇監督だ。インタビュー後編は、指導者としての歩みと、目指す指揮官像について明かした。〈全2回の後編/前編も公開中です〉 現役時代の通算成績は59安打、2本塁打、30盗塁、打率.195。出場した359試合の多くが代走や守備固めでの出場だった「脇役」はしかし、指導者として大きな花を咲かせる。2008年に現役引退し、そのまま日本ハムの二軍内野守備走塁コーチに就任すると、現在まで17年間一度も現場から離れることなく、ヤクルト、楽天と3球団を渡り歩いた。 指導者としてのオファーが途切れないその理由は何なのだろう? 三木監督自身はそれを「いろいろな“出会い“。それに尽きる」と言う。コーチとして駆け出しだった日本ハムでは、才能溢れる若い選手たちと出会った。まずは入団間もなかった中田翔(現・中日)、西川遥輝(現・ヤクルト)、中島卓也……。 「あの3人をつかまえてよう練習しましたね。翔なんて最初は守備どころじゃなかったよ(笑)。俺は基本、厳しいからみんな大変だったと思う。他にも(杉谷)拳士、陽岱鋼、近藤(健介、現・ソフトバンク)……自分が教えるだけではなく、若い選手たちから学ぶことが物凄く多かったです。 最後は(大谷)翔平(現・ドジャース)も入ってきましたね。盗塁の練習も一緒にやったし、初盗塁の時、三塁コーチャーでサインを出したことも覚えている。素質どころじゃない、入ってきた時から物凄いものがありましたよ」
今シーズンのチーム盗塁数が12球団トップ(5月14日時点)と、足を使った攻撃が光る東北楽天ゴールデンイーグルス。2020年シーズン以来2度目の指揮を執り、独自色を打ち出しているのが三木肇監督だ。現役時代は守備や代走のスペシャリストだった“職人”の歩みと、目指す指揮官像についてNumberWebのインタビューに語った。〈全2回の前編/後編も公開中です〉 プロの門をくぐったのは1995年秋のドラフト。この年、日本シリーズを制した野村克也監督の目に留まった内野手として、ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団した。時は野村ヤクルトの黄金期。上宮高時代に守っていたショートの定位置には池山隆寛が座り、さらに1年先に入団していた宮本慎也も控えていた。 「経験と技術がある選手ばかりで、高卒の僕が戦えるレベルではなかった。それはもう最初に一緒にプレーした時点で凄い世界に入ったな、と感じました。ただ、当時の先輩方は本当に優しかったんですよ。2年目のキャンプは池山さんと同部屋になって凄く面倒を見てもらいましたし、古田(敦也)さん、真中(満)さん、宮本さん、稲葉(篤紀)さん、……いい先輩たちが野球のこともそれ以外のことも色々と教えてくれました」 キャンプではクタクタに疲れ果てた練習後に野村監督恒例のミーティングが始まる。若き高卒内野手は、ひたすらメモをとって頭を鍛えた。そのノートは監督になった今となっても折に触れては何度も読み返すのだという。 「ホワイトボードに野村監督が自分で字を書いて、それを僕らが書き写して勉強していく。例えば12通りのカウントの中でバッテリー間の心理とバッターの心理があって、駆け引きや戦術が変わってくる。技術的なことだけでなく、人生論や監督が使っていた難しい言葉なんかも、19、20歳の時と、48歳になる今とでは感じるものが全く違うんですよね。時がたってさらに野村監督のミーティングは自分の中に生かされていると感じます」
今シーズンのチーム盗塁数が12球団トップ、盗塁成功率94.6%(5月14日時点)と、足を使った攻撃が光る東北楽天ゴールデンイーグルス。2020年シーズン以来2度目の指揮を執り、独自色を打ち出しているのが三木肇監督だ。インタビュー後編は、指導者としての歩みと、目指す指揮官像について明かした。〈全2回の後編/前編も公開中です〉 現役時代の通算成績は59安打、2本塁打、30盗塁、打率.195。出場した359試合の多くが代走や守備固めでの出場だった「脇役」はしかし、指導者として大きな花を咲かせる。2008年に現役引退し、そのまま日本ハムの二軍内野守備走塁コーチに就任すると、現在まで17年間一度も現場から離れることなく、ヤクルト、楽天と3球団を渡り歩いた。 指導者としてのオファーが途切れないその理由は何なのだろう? 三木監督自身はそれを「いろいろな“出会い“。それに尽きる」と言う。コーチとして駆け出しだった日本ハムでは、才能溢れる若い選手たちと出会った。まずは入団間もなかった中田翔(現・中日)、西川遥輝(現・ヤクルト)、中島卓也……。 「あの3人をつかまえてよう練習しましたね。翔なんて最初は守備どころじゃなかったよ(笑)。俺は基本、厳しいからみんな大変だったと思う。他にも(杉谷)拳士、陽岱鋼、近藤(健介、現・ソフトバンク)……自分が教えるだけではなく、若い選手たちから学ぶことが物凄く多かったです。 最後は(大谷)翔平(現・ドジャース)も入ってきましたね。盗塁の練習も一緒にやったし、初盗塁の時、三塁コーチャーでサインを出したことも覚えている。素質どころじゃない、入ってきた時から物凄いものがありましたよ」