「藤浪が161球投げさせられた」事件…金本知憲の“懲罰采配”、藤浪晋太郎がいま明かす「あの日のこと」大阪桐蔭で甲子園連覇→阪神エースの“苦悩”―2025上半期 BEST5 - MLB - Number Web - WACOCA MEDIA

2024ー25年の期間内(対象:2024年12月~2025年4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。プロ野球インタビュー部門の第3位は、こちら!(初公開日 2025年3月29日/肩書などはすべて当時)。

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「藤浪は野球をナメている」藤浪晋太郎が阪神で感じた“空気”「四球出したくて出してるわけじゃない」「心が削がれて…」救われた野茂英雄の“ひと言” – MLB – Number Web

今年度、30歳を迎えた大谷翔平世代、いわゆる1994年度生まれの代。かつて世代の先頭を走っていた男こそ、藤浪晋太郎(マリナーズ)である。米・アリゾナの地で藤浪が明かした阪神時代、絶望の日々。「どんどん心が削られていったんです」【NumberWebノンフィクション/全6回の3回目/4回目へ】◆◆◆ 藤浪晋太郎の野球人生を行ったり来たりしながら分岐点は2016年であることが見えてきた。プロ入り4年目、初めて2ケタ勝利に手が届かなかった年でもある。 藤浪は自分の過去を俯瞰するように語る。ADVERTISEMENT「2016年は初めて2ケタ行かなかったので、成績が出なくなったってすごい言われました。けど、内容はそこまで悪くはなかったんです。イニングも169回投げていますし。その頃はまだクオリティースタートとかセイバー(メトリクス)的な見方がそこまで普及してなかったんですけど、WAR(チームへの貢献度)とかも悪くなかったんです」じつは好調時も「四死球」多かった その年、藤浪の四球数は70個でリーグワーストだった。 四死球王――。 いつの頃からか、藤浪にはそんなありがたくないニックネームが付けられた。 ただ、それを言うならば、藤浪はもとから四死球キングだった。2年目に記録した11個のデッドボールはリーグトップ。自身最多となる14勝をあげた3年目は四球82個、デッドボール11個を与え、「二冠」に輝いている。 高校時代から、藤浪の持ち味は適度な「荒れ球」にあった。特徴など得てしてそういうものだ。結果がついてきているときは美点に見えるし、結果が出なくなった途端、欠点に映る。「あばたもえくぼ」と同じ現象である。 藤浪の荒れ球は織り込み済みのはずだった。だが、和田豊から金本知憲に監督が交代した2016年、ベンチは途端に四死球を毛嫌いするようになった。「特に金本さんは、そういうところに厳しかった。フォアボールは投手のエラーだという考え方だったので」「四死球=悪」評価が変わった 本人にその自覚がなくても、周囲の人間が1つのことを呪文のように言い続けると、その色に染められてしまうことがある。白が黒になる。嘘も事実になるのだ。 藤浪にかけられた呪いは「フォアボールが……」だった。 【次ページ】 チームの空気「藤浪を甘やかすな」

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