ヤクルトの奥川恭伸投手が6月14日、京セラドーム大阪で行われたオリックスとの交流戦で約2年ぶりに登板し、980日ぶりとなる勝ち星を挙げた。その後7月10日の阪神戦まで先発3試合でいずれも5回を投げ、2勝1敗と好投を続けている。度重なる負傷、誹謗中傷にも苦しんだ右腕の知られざる思いを、入団から取材し続けてきた記者が綴った。 視界が歪み、呼吸が浅くなる。「2年ぶりの一軍マウンドで……」とインタビュアーにマイクを向けられると、右目から一滴の雫が落ちた。すぐに左手でぬぐうもダムが決壊したように涙が止まらなくなった。京セラドームのお立ち台。2年ぶりの一軍登板で白星を飾り、安堵する奥川恭伸の表情が突如崩れたのは、奈落に沈んだ期間を訊かれた時だった。 「なんでなんだろう。自分でも分からないんです。よく覚えてもいないというか……」 胸の奥深く、秘めた記憶 まさか涙する、ましてや号泣するとは思ってもみなかった。その直前、チームメートの村上宗隆と長岡秀樹に「絶対泣くなよ」と茶化され、「泣きませんよ」と冗談を飛ばし合っていた。だが、空白の2年間を自分の言葉で紡ごうとした瞬間、深奥に秘めた記憶が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。そして自らを制御できなくなるほど両肩を震わせた。 ADVERTISEMENT 「マウンドに上がる前、なぜこの試合に勝ちたいのかと考えました。この2年間お世話になって力を貸してくれた人に勝ちを届けたい。その人たちがパッと湧いてきたんです。自分が勝ってホッとしたとか、報われてよかったとか、そういうのは一切なくて、その人たちへの思いで涙が出てきた。それに尽きると思います」 2022年3月29日に神宮球場で途中降板してから800日以上が過ぎた。負傷した右肘と向きあう日々に始まり右足首捻挫、左足首骨折、右脇腹負傷、腰痛と故障の連続。新型コロナ、インフルエンザにも罹患した。 痛みと苦悩にもがいた日々 抜け出そうともがくたびに、さらに深くに引きずり込まれる流砂に浸かった。“地上”に立てたと実感するのは今季が始まってから。 「今までは疑心暗鬼で投げ終わって(右肘は)調子が良い時も悪い時もあった。それが本当に安定して調子がよくなってきた。朝動かして痛くない、投げ終わっても痛くない、翌日も痛くない。よし、いけると思いました。僕が求めていた感覚です」 涙のお立ち台から2週間後、初めて満員大歓声の本拠地で先発。5回1失点で2勝目も手にした。 復活できなければ、脳裏から抹消していたであろう記憶がある。寮の自室。奥川が2年間で最も辛かった時期、負傷から約半年を過ごした場所だ。右肘の治療法を模索する日々。 【次ページ】 「太陽も嫌だし、明るいのも嫌」
今年度、30歳を迎えた大谷翔平世代、いわゆる1994年度生まれの代。かつて世代の先頭を走っていた男こそ、藤浪晋太郎(マリナーズ)である。米・アリゾナの地で藤浪が明かした阪神時代、絶望の日々。「どんどん心が削られていったんです」【NumberWebノンフィクション/全6回の3回目/4回目へ】◆◆◆ 藤浪晋太郎の野球人生を行ったり来たりしながら分岐点は2016年であることが見えてきた。プロ入り4年目、初めて2ケタ勝利に手が届かなかった年でもある。 藤浪は自分の過去を俯瞰するように語る。ADVERTISEMENT「2016年は初めて2ケタ行かなかったので、成績が出なくなったってすごい言われました。けど、内容はそこまで悪くはなかったんです。イニングも169回投げていますし。その頃はまだクオリティースタートとかセイバー(メトリクス)的な見方がそこまで普及してなかったんですけど、WAR(チームへの貢献度)とかも悪くなかったんです」じつは好調時も「四死球」多かった その年、藤浪の四球数は70個でリーグワーストだった。 四死球王――。 いつの頃からか、藤浪にはそんなありがたくないニックネームが付けられた。 ただ、それを言うならば、藤浪はもとから四死球キングだった。2年目に記録した11個のデッドボールはリーグトップ。自身最多となる14勝をあげた3年目は四球82個、デッドボール11個を与え、「二冠」に輝いている。 高校時代から、藤浪の持ち味は適度な「荒れ球」にあった。特徴など得てしてそういうものだ。結果がついてきているときは美点に見えるし、結果が出なくなった途端、欠点に映る。「あばたもえくぼ」と同じ現象である。 藤浪の荒れ球は織り込み済みのはずだった。だが、和田豊から金本知憲に監督が交代した2016年、ベンチは途端に四死球を毛嫌いするようになった。「特に金本さんは、そういうところに厳しかった。フォアボールは投手のエラーだという考え方だったので」「四死球=悪」評価が変わった 本人にその自覚がなくても、周囲の人間が1つのことを呪文のように言い続けると、その色に染められてしまうことがある。白が黒になる。嘘も事実になるのだ。 藤浪にかけられた呪いは「フォアボールが……」だった。 【次ページ】 チームの空気「藤浪を甘やかすな」